小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1138 hana物語 あるゴールデンレトリーバー11年の生涯(4)私のお母さん

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きょう8月5日は、hanaの初七日だ。犬に対しこんな言葉を使うことが適切かどうか分からないが、これまで居間に置いた遺骨と写真を床の間に移した。いずれ土に還す予定だ。夕方、hanaとの散歩コースだった調整池の周囲を一人で歩いた。日中の猛暑が少し和らぎ、池の方から涼しい風が吹いてくる。西の空には夕焼け雲が浮かんでいる。hanaがいなくなったことを実感する。 私が札幌での2年間の単身赴任生活を終え、自宅に戻ったのは2002年6月半ばのことだった。その半月後の7月1日、hanaは新潟県の犬のブリーダーのところで生まれた。きょうだいが何匹いたかなど、詳しいことは分からないが、その後関東地方のペットショップに送られ、初代の飼い主を経て4歳の誕生日直前の2006年6月からわが家で暮らすことになった。 その前から月2、3回の割合でわが家に遊びに来ていたhanaは、わが家の生活に違和感なく溶け込んだ。何しろ泊りがけで遊びに来ると、寝るのは私か妻の布団の上で、朝になると早く散歩に連れて行けと、私たちの顔をなめて催促するのだった。以前から犬がほしかった私と次女は、hanaがやってきたことにもろ手を挙げて歓迎した。しかし、「犬嫌い」の妻はなかなかなじめず、hanaが近寄って手をなめようとすると、逃げてしまうのだった。もちろん顔をなめようとすると、布団の中に隠れてhanaの攻撃を逃れた。 2004年5月のある日のことだ。遊びに来ていたhanaは、庭に出してやると家の中に入るのを嫌がり、逃げ回った。初代の飼い主が家の中で飼っているため、私たちも遊びにきたhanaを家の中に置いていたが、5月のさわやかな空気を吸わそうと庭で遊ばせたのだ。喜んだhanaは、ここが私の居場所とばかり、庭を歩き回り、一向に中に入ってくれない。捕まえて家の中に入れようとすると逃げてしまうのだ。仕方なく放置し、しばらくして私が口笛を吹くと、エサをもらえると思ったのか、開け放しの玄関から泥にまみれた体のままで走りながら部屋に入り込み、汚れた体を寄せてきた。こんなこともあって、妻はhanaが苦手のようだった。 私がつけている日記に一番登場するのはhanaである。この日記には「hanaが散歩を嫌がる」という記述が多い。さびしがり屋なのか私と妻、あるいは娘たちといった複数で散歩に出ると素直に歩くのに、1対1では途中で座り込んでストライキをすることが少なくなかった。散歩途中に出会う他の犬の飼い主から笑われることも珍しくなかった。犬に関する本には散歩を嫌がるのは理由があると書いてあるが、hanaの場合、家族ぐるみで散歩をする楽しみを覚えてしまい、1対1ではいやだと主張したかったのかもしれない。 妻がhanaを受け入れるようになったのは、hanaの旺盛な食欲が一因として挙げられる。日常的な世話はするようになったものの、hanaに手をなめられるのが苦手だった妻は、ある夜、夕食の後片付け中に炊飯器から残りご飯を取り出している最中、居間と台所の境まで顔を出したhanaがキュンキュンと声を出して、ご飯を要求していることに気が付いた。仕方なく少量のご飯を掌に乗せてhanaに与えると、うれしそうにそれを食べ、妻の掌をペロペロなめたのだ。以来、夕食後の後片付けの時、妻から夜食をもらうのがhanaの楽しみとなり、長い間の習慣となった。hanaは炊飯器のふたを開ける音で居間から台所に顔を出し、ご飯をねだるのだ。妻は後片付けの最中、近くにやってくるhanaにいろいろと語りかけ、次第にhanaに慣れ、わが家で一番hanaを大事にするようになった。たぶんhanaは、妻のことを自分の母親と思ったのかもしれない。 hanaの夜食の習慣は、病気の進行で途切れたのだが、この世を去る前夜もhanaは居間から足元をふらつかせながら台所の境まで体を動かし、寝そべりながらしばらくの間、潤んだ瞳で妻の働く姿を見ていた。元気で食欲が旺盛なころを思い出していたのかもしれない。妻が少量のご飯を口に入れてやろうとしたが、hanaにはそれを食べる力は残っていなかった。(続く)
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