小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1123 遠くから見つめる富士 凛とした姿描いた友人の絵

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富士山の世界遺産(文化)登録が決まる直前、大阪から上京した友人から一枚の日本画をもらった。雪を抱いた富士山とその前には白い波の海が広がっている。各地から望む富士山の姿を描いた葛飾北斎の「富獄三十六景」や以前のブログで紹介した平松礼二の「2011311-日本の祈り」の富士山とも趣を異にする一枚だといっていい。それは友人の「富士への思い」を描いた作品なのだろう。 葛飾北斎の富獄三十六景のうち代表作といわれる「神奈川沖浪裏」という作品は、荒波にほんろうされる3艘の舟と遠くに見える富士山を描いており、自然界のスケールの大きさに比べ、人間の営みがいかに小さいかを思い知る。北斎の作品は芸術性が高く、オランダの画家ゴッホやフランスの作曲家ドビッシー(交響詩・海を作曲)の創作活動に大きな影響を与えたという。 自然界の中で人間の営みがはかないものであるかは、3・11の大震災でも実証された。残念なことに多くの人命を失い、原発事故は悲劇を増幅させてしまった。このブログを書いている私の机の前に「奇跡の一本松」の写真が飾ってある。一面のクローバー(シロツメクサ)の後ろに、復元された一本松のモニュメントが立っている。クローバーに覆われた部分は3・11当時、激しい津波に襲われた。だが、あれから2年が過ぎて、クローバーが生い茂り、何事もなかったかのように牧歌的風景を演出している。
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世界遺産に登録されて、富士登山者が増えているという。夏休みになれば、登山道はラッシュ状態が予想されるようだ。そんな話を聞くと、富士未経験(5合目の駐車場まではかなり昔に行ったことがあるが)の私は二の足を踏んでしまう。ほとぼりが冷めるまでは、行きたいとは思わない。そのうち足腰が弱って登頂は無理になるかもしれないが、仕方がない。友人や北斎の絵のように、私にとって富士は遠くから見つめるものなのだ。 平松礼二の作品について、当時のブログで「巨大地震津波(絵の中では富士山を囲む荒波か)という厳しい試練を受けても『凛』とした姿勢を維持しようとする、日本人の精神を象徴しているように受け取ることができる」と書いた。富士山が日本人の精神を象徴しているという思いは、いまも変わらない。 平松礼二の作品に関するブログ