小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1104 ふと見るいのちのさびしさ 福島の滝桜と花見山公園に行く

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原発事故がいまだ収束しない福島を旅した。桜前線は既に県北部まで到達していたから、住民たちが避難した地域の桜もひっそりと咲いたはずだ。今回の旅は福島の2つの花の名所を訪ねるのが目的だった。日本三大桜といわれる三春町の「三春滝桜」と、写真家の故秋山庄太郎が「福島に桃源郷あり」と称えた福島市の「花見山公園」である。そこには多くの人が詰めかけていた。やはり、人は花に心の安らぎを求めるのだろうか。 平安末期から鎌倉初期にかけての歌人で漂泊の旅を続けた西行は、陸奥(東北)の旅で「類ひなき 思ひいではの 桜かな うすくれなゐの 花のにほひは」という歌を残している。西行が見た桜は山形市滝山の大山桜といわれているが、現代の2つの花の名所は、西行でなくとも「類なき思い」に浸ってしまう。
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ベニシダレザクラの巨木である滝桜は、推定樹齢が1000年を超えているそうだ。三春町の滝という地区にあり、四方に広がる枝に咲いた花が流れ落ちる滝のように見えることもあって、こんな名前が付いたのだという。いまでは全国的に有名になり、この季節にはテレビでもその姿が中継される。たしかに実際目にすると、薄紅色の花模様は滝のように見えた。これまで多くの桜を見た多くの人たちにも記憶に残る姿だったに違いない。 三春町から高速道路に乗り福島市に向かい、途中からシャトルバスに乗り換え、花見山公園に到着した。秋山庄太郎は「桃源郷」と表現したが、私は「百花繚乱」という言葉を連想した。黄色いユニフォーム姿の花案内人というボランティアガイドの人たちがいた。原発事故で浪江町から避難した女性もこの中にいることを、ここを訪れた翌日のNHKの放送で知った。この公園は福島市渡利地区の丘陵地にあり、農家が花木園芸用にさまざまな花木を生産している私有地だ。阿部さんという花木農家(現在の当主は阿部一郎さん)が無料開放を始め1950年代後半から花の季節には観光客が集まり出したのだそうだ。
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原発事故後、渡利地区は放射線量が高いホットスポットといわれた。それでも原発事故の年も花見シーズンにはこの公園に例年の3分の1ながら、花の魅力に惹きつけられた9万4000人が訪れたという。福島市ホームページには「花見山周辺の環境放射能測定値をお知らせします」というPDFファイルあり、公園へ向かうシャトルバスの発着地のあぶくま親水公園では、除染作業が進められていた。美しい花の景色を見ても、脳裏から原発事故は消えない。 「桜咲き らんまんとして さびしかる 細見綾子」 山本健吉編の句歌歳時記には「華やかさの絶頂期に、ふと見せるいのちのさびしさ」という説明がある。2つの名所を見て同じような思いにとらわれた。