小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1086 朝霧に神々しい2月の太陽  散歩コースにも光の春

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いつもの犬との散歩コースの調整池周辺。休日の早朝。池から霧が漂っている。寒い2月の朝。霧は限定的で池以外は透明感ある風景が広がっている。なかなか幻想的だ。しばらくすると、太陽が昇ってきて、霧の後方にまばゆい光が増し始めた。「朝霧の富士を尊とく見する哉(正岡子規、明治25年)という句があるが、池の朝霧は、太陽をより一層神々しく見せてくれる。 すれ違う人たちは霧の光景を楽しむように、ゆったりと歩いている。もう2月も11日。散歩の前に見たテレビの天気予報で、気象予報士が「光の春」を話題にしていた。この言葉を定着させたのは、かつての気象キャスターで、気象エッセイストの倉嶋厚さんだそうだ。倉嶋さんは気象調査のため、1963年(昭和39)ソ連(現在のロシア)に出張、ロシア語に光の春を意味する「ベスナー・スペータ」という言葉があることを知り、帰国後、日本に紹介したのだという。冬至が過ぎてから日脚は次第に伸び、立春を迎えて陽光の輝きが増してくる。光の春とは言いえて妙だと思う。 いまは厳寒期。布団から出るのをためらう朝もある。しかし、寒さを我慢しながら歩いていると、夜明けとともに透明感のある景色が目に入り、新しい1日の始まりを実感するのだ。池の後方にある雑木林にも光が入り込んで、冬眠から覚めるよう樹木たちを促している。 詩人で評論家の大岡信さんは「瑞穂の国うた ―句歌で味わう十二か月」(新潮文庫)という本で、2月は一番寒い季節、その寒い季節の真ん中である2月16日に生まれ、映画俳優の高倉健さんが同年、同月、同日生まれであることを書いている。生まれた年こそかなり後になるが、私もこの日が誕生日だ。 大岡さんは2月生まれということで、一種独特の2月に対する感覚(霜柱が立ち、土が浮き上がってくるくらいに寒くなって、氷柱もいっぱい下がっているような)があると書いているが、私自身も似たような感覚を持つ。そのうえで、この厳寒期が過ぎれば、生命力があふれる季節がやってくるという楽しみも知っている。 遊歩道では、近く開かれる駅伝大会に参加する子どもたちの練習する姿を見かける。躍動感のある走りは、寒さを感じさせない。子どもたちは春に向かって走り続けている。
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追加 2月17日の駅伝大会の写真 懸命に走る子どもたちと応援する保護者たち
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