小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1053 照柿の無残な光景 原発事故・福島からの便り

「照柿」という言葉がある。赤く熟し、いまにも枝から落ちそうな柿のことだそうだ。そんな美しい写真が福島に住む教育者で知人の宍戸仙助さんからメールで届いた。しかし、メールを読むと、美しい風物詩が実は悲惨な光景であることが分かり、愕然とした。東日本大震災東京電力福島原発事故の後遺症はいつになったら癒えるのか。きょう総選挙が公示になった。政治家はこの写真を見て、日本の在り様を考えてほしいと痛感する。震災予算を平然と流用した官僚もこの現実を知ってほしいと思う。 以下は、宍戸さんのコメントと写真だ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ▼初雪に虚しく実る柿畑、そして、どこまでも続く、コミュニティ崩壊 12月1日、福島県北部はこの冬初の雪景色に覆われた。その雪景色の中、柿畑ではオレンジ色の柿が収穫されず、虚しくその色を際立たせている。 伊達市、梁川地区は昔から「あんぽ柿」「干し柿」の生産で名を馳せ、地場産業の中核をなしてきた。しかし、その「干し柿」は昨年から出荷できないでいる。収穫したばかりの「柿」の放射線量は、それほど高くなくても皮をむき、乾燥した冬の風にさらし、水分を飛ばすと極度に線量が高くなる。 線量測定は、1kg中の放射線量を測定するため、「干し柿」で高い値になるのはやむを得ない。昨年の出荷制限を受け、今年こそは収穫し、加工して出荷できるようにしたいと、昨年と今年と必死で表皮を除染し、最大限の努力をしてきただけに、その落胆は計り知れない。 半田銀山を遠景に収穫されないまま、その色を増す柿の姿はあまりにも痛々しい。しかし、それは目に見える姿。この収穫されない「柿畑」には別の要素が付け加わっている。 収穫されない柿の木とその実を写した写真を添付すれば、それに見合っただけの費用(保証金)が支給されるのだ。ある家庭では数百万円。しかし、このお金は2年前までは、柿をもき取る作業をする人、柿の皮をむく人、それを、紐につるす人、などなど、地域の古老が集まっての共同作業となり、1年の思い出を語り合いながら、近所で和気藹々の作業を通した「和み」の時間だったのだ。 収益をみんなで分け合われていた。正月にやってくる「可愛い孫達」へのお年玉の貴重な財源だったはずなのだ。だが昨年、今年とそのお金は、柿畑の持ち主だけのものとなっている。それもやむを得ないのだろう。それが、これまでのコミュニティの崩壊につながっているのである。 10月、地域の橋か、阿武隈川に投身自殺をした老婆がいる。その事件とこの柿畑は無縁であってほしいと願う。広島・長崎の原発のあとの1980年に「原爆孤老」(労働教育センター)という本が出版されたことがある。今、「原発孤老」を心配する。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 宍戸さんの「原発孤老」という表現が定着しないことを祈りたい。それを阻止するのは政治の力であり、私たち国民の意思でもある。 以下写真。
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