小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1009 気骨あるジャーナリストの怒り 大飯原発再稼働の裏事情

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このところ雷雲の発生が多く、よく雨が降る。一方で首都圏の水がめは取水制限をするほど、水がめの周辺では雨が少ないのだから、この夏の天気はおかしい。雨が上がった夕方、散歩をしていたら、夕焼けの空に雷雲とともに秋を思わせる雲が浮かんでいた。そんな残暑の休日、気分がすっきりする文章を読んだ。ある科学ジャーナリスト大飯原発に関する記事だ。 ニューヨークタイムズ東京支局長が出版した本に関するブログの中で、「日経新聞を真面目に読むのはばかげている」と書いた。批判精神よりも企業広報紙的内容が濃いからであり、その思いはいまも変わらない。だが、日経出身の科学ジャーナリスト・塩谷喜雄氏の関西電力大飯原発再稼働に関する文章を読んで、日経にも気骨ある記者がいたことを再認識した。 塩谷氏は日経の元論説委員で、科学技術部次長のあと論説委員を務め、日経朝刊の一面コラム「春秋」を担当したというから、名文記者だったのだろう。2010年9月に退社後は、科学ジャーナリストとして執筆活動をしている。大飯原発再稼働をめぐる塩谷氏の文章はメディア展望(新聞通信調査会報)9月号に掲載された「政治が強欲に屈した大飯原発再稼働 10年以内にまた過酷事故との頻度試算も」と題したものだ。 この文章の冒頭から塩谷氏は再稼働への怒りを次のように表現している。 「2012年7月1日、関西電力福井県大飯原発3号機を再稼働したこの日は、日本の民主政治の『汚点』として、長く歴史に刻まれるに違いない。日本の統治機構が利権集団の強欲に屈した、恥辱の日といっていい。ことさらに刺激的で大げさな表現を使っているわけではない。安全確保の抜本策を講じぬまま原発を再稼働させた、5人の政治家(関係4閣僚プラス1)=注、野田首相、藤村官房長官、枝野経済産業相、細野原発担当相、仙谷政調会長代行=たちの判断は、汚点や恥辱などという言葉では足りないくらい罪深い」 (大飯原発の再稼働を巡って、政府の再稼働にゴーサインを決めた政府の会議になぜ仙谷氏が入っていたのか、いわゆる「プラス1」として仙谷氏が参画した根拠、理由、正当性が説明されていないと、塩谷氏は書いている。たしかに仙谷氏が再稼働問題に口出しをしたのか、明確な説明はないし、政府のホームページには仙谷氏の名前も出ていない) この前書きだけを読んで、塩谷氏の怒りの激しさがうかがえる。本文でも塩谷氏は具体的材料、事例を挙げて大飯原発再稼働へと動いた関電、政府、保安院の姿勢を厳しく批判している。 例えば―。関電は保有する施設の割合が、他の電力会社と比較して原発関連の比率が異様に高く、純資産約1兆5000億円の6割、9000億円が原発施設と核燃料が占め、発電をしない原発と核燃料の資産評価はゼロに近く、純資産の6割を失い、赤字が続けば残る純資産も食いつぶし、破綻に追い込まれる事情があるのだという。塩谷氏は「再生可能エネルギーへの投資を怠り、シェールガス(従来の天然ガスとは異なる頁岩=シェール層=から採取される非在来型天然ガス)など新エネルギー資源の確保に向けた企業戦略も立てず、高値づかみした石油や天然ガスの高コストを、そっくり消費者に転嫁してきた強欲のツケが今、噴き出してきた。目的は国民生活や産業への安定供給ではなく、身から出たさびの経営危機を回避するための再稼働だった」と、明快に説いている。 さらに、大飯原発原子力安全・保安院がつくった暫定安全基準(何が何でも再稼働させたい関係4閣僚プラスが再稼働後の安全性を印象づけようとしたと、塩谷氏は指摘)30項目のうち半分の15項目しか満たさず、論理的にも再稼働を認めることはあり得ないと論じ、この後も「関電がストレステストの根拠となる数値をひそかに改ざんいていたことなど、刺激的な内容が続いている。 大飯原発を再稼働させなければ、この夏は電力不足になると政府と関電は説明した。しかし、電力需要のピーク時でも原発抜きで乗り切れたことが明らかになっている。関電幹部は4月に「再稼働は夏の需要対策とは関係ない」と大阪府市エネルギー戦略会議との話し合いで公言していたことを塩谷氏はこの記事の中で暴露しており、電力不足云々は脅かしだったことが実証されたといっていいい。 この文章を読んだ後、インターネットで塩谷氏について検索してみると、彼は東電福島第一原発事故にも関しても東電と政府の対応を厳しく批判していた。このような文章を書いたのが日経の元コラムニストであることに、大きな意味があると思う。