小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

962 新緑の季節の木との対話 悲しみ、生きることに耐えられないときは…

画像
新緑の季節になった。あすから5月。街路樹のけやきの葉の柔らかい緑が散歩をする人たちを優しく包み込んでいる。4月の終わりに、木の話を書いてみる。 ドイツの作家で詩人のヘルマン・ヘッは「庭仕事の愉しみ」という本の中で、以下のようなことを書いている。哲学的な内容だが、木との対話の勧めと受け止めることもできる。 「私たちが悲しみ、もう生きるに耐えられないとき、1本の木は私たちにこう言うかもしれない。落ち着きなさい!落ち着きなさい!私を見てごらん!生きることは容易ではないとか、生きることは難しくないとか、それは子どもの考えだ。おまえの中の神に語らせなさい。そうすればそんな考えは沈黙する。おまえが不安になるのは、おまえの行く道が母や故郷からおまえを連れ去ると思うからだ。しかし一歩一歩が、一日一日がおまえを新たに母の方へと導いている。故郷はそこや、あそこにあるものではない。故郷はおまえの心の中にある。ほかにどこにもない」 木は、不思議な力を持っているのかもしれない。 鎌倉鶴岡八幡宮の樹齢800年―1000年といわれた樹高30メートルの大イチョウが強風のため、根元近くで折れたのは東日本大震災1年前の2010年3月10日のことだった。八幡宮のシンボルであるこの大イチョウの前で、記念写真を撮った人は少なくないだろう。793年前の建保7年1月27日(1219年2月13日)には、鎌倉幕府の3代将軍で歌人源実朝がこのイチョウの目の前で暗殺されたという歴史もある。それから長いときを経て大震災前に大木の幹は朽ちたが、根元から蘖(ひこばえ)が出て、移植された根元からも新芽が確認され、植物の生命力の強さを証明してみせた。 一方、岩手県陸前高田市高田松原津波に耐えて1本だけ残り「奇跡の一本松」といわれ、被災者に生きる希望を与えたアカマツが大きな話題になった。この松も塩水によって枯死状態になり、生きていた枝を接ぎ木してクローン苗の育成に成功したという話やロンドンの英王立植物園に同じ品種のアカマツの種子などが贈られ、種子バンクに永久保存になったことがニュースとして流れた。もの言わぬ歴史の証人としてのこれらの樹木のDNAが受け継がれるのは、意義があることだと思う。 1本の松の木を忘れることができない。生まれ育った家の庭にあった樹齢数百年の老木のことである。樹高12、3メートルくらいの五葉松だった。品があり、わが家の庭ではいちばん目立つ木だった。長い年月の風雪に耐えていた幹には大きな空洞ができていた。ある年から、その穴にふくろうが住みついた。卵を産み、ヒナがそこからふ化した。 数年後のある日の朝、私と兄は五葉松にはしごをかけ、ふくろうがどこかに飛んで行っていないことを見越し、交互にはしごに乗ってふくろうの穴に手を突っ込んだ。中には卵が3、4個あり、私たちはその卵を取ってご飯にかけて食べてしまった。その後、ふくろうがいつまでこの松に卵を産んだかは覚えていない。何年かが過ぎ、大きな台風でこの五葉松は根元から横倒しになった。 植木屋さんに頼んで、倒れた松は元に戻し、傷ついた幹と枝には保護用のわらが巻かれた。その結果、新しい葉が出て数年は持ちこたえた。だが、それは最後の輝きだった。寿命が尽きたのだろう。次第に松は元気を失い枯れてしまった。この松を愛し明治、大正、昭和という激動の時代を見届けた祖母は、松が枯れるのに歩調を合わせたように88年の生涯を終えた。愛する息子を戦争で失い、嘆きの日々を送った祖母を救ったのは凛々しくそびえる五葉松だった。幼い私は、毎日のように松を見上げる祖母の後ろ姿をはっきりと記憶している。祖母は五葉松と心の対話を続け、「落ち着きなさい」と慰められていたのかもしれない。 宮城県気仙沼市の大川沿いには、東日本大震災にも耐え美しい花を咲かせた114本の桜並木がある。震災で気仙沼の被害が大きかったため、例年開かれていたさくら祭りが昨年は中止になった。この春は地元の復興への思いからさくら祭りが復活し、地元の人たちでにぎわった。報道によると、この大川沿いは津波被害を防ぐための「かさ上げ地区」に指定され、工事が始まると桜も伐採される可能性があり、最後の花見になるのではないかと多くの人が集まったのだという。 人間の生命を第一に考えれば、かさ上げ工事は必要で、桜の伐採も仕方がないが、長い年月この桜を見て春の訪れを感じてきた気仙沼の人たちには桜の木と別れるせつなさが募ったに違いない。桜は春の到来を教えてくれる日本の花の象徴だ。この春も昨年に続いて鎮魂の思いでこの花を見ている人は少なくないはずだ。 鹿児島空港に近い鹿児島県姶良市蒲生町の蒲生八幡神社には日本最大の巨木といわれるクスノキがある。樹高は30メートル、幹周24・2メートル、根回り33・57メートルと説明文にはあり、枝が四方に広がった様子から、怪鳥が空から降り立ったようにも見えるという。蒲生町の人たちにとって町の誇りであり、初もうでをはじめ様々な祈願をするご神木でもある。樹齢は推定1400年といわれ、この神社が創建された保安4年(1123年)当時、神木として祀られていたという。樹勢が衰えたため、10数年前に枯れ枝の切除、空洞(直径4・5メートル=畳8畳分)の防水、幹周辺の土壌改良などの保護作業を行い、勢いが戻った。その力強い姿を見たとき、体の中から力が湧いてくるのを感じたものだ。 被災地でも木々の緑が次第に濃くなっていく。震災から1年が過ぎても家族を失い、懐かしい我が家を奪われた人たちの悲しみは癒えることはない。そんなときに思い出したのが「故郷はおまえの心の中にある」というヘッセの言葉だった。それは原発事故で、故郷を離れた福島の人たちへの励ましと受けとめたい。南ドイツで生まれたヘッセは、ヒトラーナチスドイツにくみせず後半生をスイスで送ったというから、心の中に故郷の原風景を描き続けたのだろう。
画像
写真はけやきの街路樹が美しい遊歩道と、我が家の玄関先で咲いたオオデマリとボタンの花。