小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

896 生死分けたドラマを訪ねて 「震災日誌in仙台」

画像 仙台在住のジャーナリスト、松舘忠樹さんが書き続けていた東日本大震災の記録が「震災日誌in仙台」(仙台市/笹氣出版)という本になって出版された。半年に及ぶ、取材の記録である。この記録については、概要を10月30日に紹介した。 松舘さんは、この本を送ってくれた手紙で次のように書いている。 あの大震災から早くも8カ月。被災地は震災のもたらした傷が癒えることがないまま、冬を迎えようとしています。福島第一原発のいまわしい事故は終息の見通しすら立っていません。今回の大震災は私たちの生き方そのものを問い直すものでした。人生観の見直しを迫られた方も少なくないと思います。ひるがえって、歴史的な転換点に立たされているという自覚もなく、旧態依然とした抗争を繰り返すこの国の政治には、憤りを通り越して絶望感すら覚えます。出口が見えない状況の中で、被災した人々は苦悩しています。そして、歯をくしばって前へ歩み出そうとしています。その姿に私は勇気を与えられてきました。 松舘さんさんが尊敬する朝日新聞の故疋田桂一郎記者は「災害はその社会の構造や矛盾を一挙に白日のもとに暴き出す」と災害と社会との関係を指摘していたという。東日本大震災は、日本の社会構造の弱点を浮き彫りにしたのだ。しかし、のど元過ぎれば熱さを忘れるということわざのように、政治の取り組みは遅々として進まない。震災でさらけ出された弱点をどのように克服するのか、政治や行政の動きがあまり伝わってこないのだ。 松舘さんは、大震災で「人生を変えられた一人」と自認する。人生観、死生観が変わったのだろう。その思いは私も同じだ。もし、自分が被災していたらどのような生き方をしていたのかと、いま問い直している。日本の将来を担う若い世代にこの本を読むことを薦めたいと思う。 東京電力は、8カ月も経て12日になって福島第1原発を初めて報道陣に公開した。なぜ、いままで公開しなかったのか、そしてなぜ12日に公開したのか、その背景は分からない。吉田所長は「現場には放射線量が高く危険な場所もあるが、原子炉のいまの状態は安定しているので住民には安心してほしい」と語ったと報道された。しかし、「安心してほしい」というのはどこまでが安心なのか、説明が不足である。原発はまだ安心できないというのが実態ではないかと疑ってしまうのだ。