小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

820 美しい故郷を思う歌 吉丸一昌の詞の心

ソプラノ歌手の鮫島有美子が歌った「四季」というCDがある。春夏秋冬それぞれ1枚に季節の歌20曲ずつが入っている。春のディスクには「故郷を離るる歌」というドイツ民謡があり、格調高い吉丸一昌の詞が付いている。それは、原発事故で家を離れ避難所暮らしをする人たちの気持ちに通じるもので、哀切な思いが漂う別れの詩(うた)なのだ。

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園の小百合、撫子(なでしこ)、垣根の千草。今日は汝(なれ)をながむる最終(おわり)の日なり。おもえば涙、膝(ひざ)をひたす、さらば故郷(ふるさと)。さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。

つくし摘みし岡辺よ、社(やしろ)の森よ。小鮒(こぶな)釣りし小川よ、柳の土手よ。別るる我を憐(あわれ)と見よ、さらば故郷。さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。

此処(ここ)に立ちて、さらばと、別(わかれ)を告げん。山の蔭の故郷(ふるさと)、静(しずか)に眠れ。夕日は落ちて、たそがれたり、さらば故郷。さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。

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吉丸一昌(1873年―1916年)は、大分県出身の教育者、国文学者、作詞者で、「春は名のみの 風の寒さや・・・」という歌い出しで知られる「早春賦」(中田章作曲)の詞も書いている。「故郷を離るる歌」のドイツ語の詞は、職人を目指す若者が恋人と別れ、マイスター(親方)を訪ねて遍歴修業に出かける情景を歌ったもので、格調高い日本の詞とは似ていないそうだ。

では吉丸は、なぜこのような詞を書いたのだろうか。大分県臼杵市の資料によると、吉丸は大分県北海部郡海添村(現臼杵市海添)の元臼杵藩の下級藩士の長男として生まれ、苦労しながら学業に励み、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)の教授になる。臼杵の小学校を卒業してからは、故郷を離れた生活だったといい、大分中学時代は大分から海添の家に帰る時、そして学校へ戻る際には臼杵の街が見える「御所(ごせんた)峠」を通ったのだという。このときの悲しさ、さびしさを思い出して、ドイツの民謡に付ける詞を書いたのが「故郷を離るる歌」だったといわれる。

原発事故で計画避難が始まった福島県飯舘村の子供たちにあす会いに行く。飯舘村は吉丸の詞のような、阿武隈高地の美しい自然に囲まれたのどかな村だった。しかし6000人以上の村民は、故郷を追われ流浪の民の生活を強いられることになった。飯舘の人たちの悲しみを思いながら、吉丸の詞を読み返した。