小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

701 朝から晩までギョーザづくり 手作りにこだわり27年のニイハオ

画像知人に東京の蒲田を中心に、ギョーザを売物にした中華料理店「你好」(ニイハオ)を経営している八木功さんという人がいる。 1983年の開店以来、これまでに8店舗までに店を広げ、さらに今月JR蒲田駅西口に9店舗目の「你好恵馨閣」(けいしんかく)をオープンした。中国残留孤児として中国・大連で戦後を送り、帰国してことしで31年。骨身を惜しまず働き続けたことが結実したといえる。 八木さんが、蒲田に店を持って以来、応援を続けた人たちが12日夜、新しい店に集まった。そこで、八木さんの苦労話を聞いた。八木さんの生い立ちと你好の歩みについては、何度か紹介した。今回は、店の看板であるギョーザについて触れてみたい。 店を始めたころ、店の片隅で閉店間際ごろからギョーザをつくっている八木さんの家族の姿がよく見られた。夜中までかかって翌日用のギョーザをつくっていたのだ。店が拡大したいまも、手作りにこだわる你好では、朝から深夜まで(あるいは未明まで)常にだれかがギョーザをつくっているのだという。画像 これまでの8店舗と通販として1日につくるギョーザの数は、約1万個だそうだ。その数を聞いて、どうやってそんなに数多くつくることができるのかとだれもが考える。それに対する八木さんの回答は―。 〈朝10時から店のみんなが集まり、ギョーザづくりを始めるのです。もちろん私もやりますよ。店はオープン時間が11時と11時半がありますが、昼の営業時間が終わる2時ごろから再びつくりだし、夕方6時オープンの店の人たちはそれまでずうっとつくり続けます。店が終わってからは、再びみんなでつくりだすのです。早い日で12時半ごろ、普通は深夜の2時ごろ、遅い日で朝方の3時ごろまでやりますよ〉 八木さんは肉まんをつまみながら面白い話もしてくれた。八木さんが肉まんを手の中に入れてギューと握るが、一度縮んだはずの肉まんはすぐに元の大きさに戻ったのだ。この菌の正体は何だろうか。 〈中国から戻ってきて、いろいろな人に仕事のことを考えてもらいました。あまりやる気はなかったのですが、勇気をもらって你好を開店、ここまできました。この27年間、お客様に喜ばれるおいしく食べてもらうよう子どもたち、従業員とともに努力してきました。実は肉まんや饅頭に使う菌は大連から持ってきて大事にしています。イースト菌ではありませんよ。冷蔵庫にいつも保存しているのですが、先日どこかになくしてしまい、大騒ぎしました。コックさんが少し保管していてくれて助かりました。秘伝のたれというのがありますが、それと同じように大切な菌なんですよ。〉 八木さんには休みはない。年末年始の数日を除いて、八木さんは毎日店に出る。それが彼には普通の生活なのだ。9店目の準備で、店内のテーブル、椅子などを仕入れに大連に出かけた際占い師に「あなたは90歳まで生きる」といわれたという。八木さんは現在75歳。仕事が生きがいであり、これからも休むことなく1皿300円(羽つきギョーザと呼ぶ焼きギョーザ、6個)のおいしいギョーザを提供し続けたいと思っている。