小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

681 揺らぐ長寿大国 コシヒカリの地元で山河を思う

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「夏は暑いのは当然だ」と言いながら、汗を拭き拭きやせ我慢して毎日を送っている。

時には、旅もする。

久しぶりに新潟に行ってきた。本当に久しぶりだ。新潟市内は人が多いが、少し町はずれに行くと、もう人影は少ない。ホテルの部屋でテレビを見ると、所在不明の高齢者のニュースをやっている。

私たち日本人は、人情が薄くなった、あるいは役所の怠慢などという感想を持つ。しかし、海外メディアは、長寿大国といわれた日本が、実は統計がいい加減であり、信用できないと伝えている。「揺らいだ長寿大国」というわけである。

メディアは、連日自社調査と称して、100歳以上で所在が確認できない高齢者が何人いるというニュースを繰り返して流している。地域で「民生委員」という無給のボランティアにこうした高齢者との接触を頼っていた行政のいい加減さも鮮明になった。

いまの日本の近隣関係は「無関心」が普通の姿になっているのだから、今回の問題は出るべくして出たのだと思う。

地方は都会よりもましなはずだ。だが、新潟もそうだが、若い人の姿は少ない。残るのは高齢者がほとんどだ。だから元気がない。

日本でも有数の米どころ・新潟魚沼地方は、日本一おいしいコシヒカリで知られる。その中のある一部の地域は高齢化率が50%前後に達しているという。これでは、元気がないのは当然だ。

新潟で農業によって、地域再生を図ろうと頑張っているNOPの代表は「地元の人たちは危機感がない」と言う。実は、彼が指摘する危機感のなさは、一新潟の問題ではない。地方の空洞化、高齢者の集中に政界も経済界も何も解決策を示すことができずにいるのだ。

新潟は、田中角栄という一時代を築いた人物によって大きく変わった。道路も鉄道も他の県に比べると、格段に整備された。だが、若者は新潟を去っていく。そして、元気のない高齢者しかいない街・・・。田中は、こんな現代の姿を想像したのだろうか。一方、菅首相や小沢氏らはこの現実をちゃんと理解しているのだろうかと思う。

杜甫は「国破れて 山河あり」という言葉を残した。戦乱のために、(国都、長安は)破壊されたが、その周囲の山河は昔の姿そのまま存在する、という意味だ。日本が太平洋戦争に負けた際、この言葉を胸に抱いて再起を誓った人は少なくないという。

その結果、世界第2の経済大国に発展した日本だが、荒廃の気配が地方から漂い始めている。杜甫の言葉を再び使うことがないよう、祈るのみだ。