小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

649 相撲のいまと昔 危機の力士たちよ雷電を思え

画像 江戸時代「雷電爲右エ門」という力士がいた。その強さは古今無双といわれ、生涯の成績は254勝10敗、引き分けほか21で、勝率が96.2%、連続優勝7回の記録を残した。 なぜか横綱にはならず、大関のままで引退した。その理由は諸説あるが、真相は分からない。しかし、その生き方は全力士の範となるすがすがしいものだった。 朝青龍の不祥事による突然の引退に続いて、野球賭博をめぐって大揺れに揺れている各界を見ていると、雷電のような「心やさしき巨人」の存在を多くの力士に知ってほしいと、痛切に思うのだ。 数年前、雷電の生涯を描いた飯嶋和一の「雷電本紀を読んだ。雷電が足を踏み入れた当時の角界は「女色と飽食」にまみれ、武士のご機嫌取りに終始していた。そんな中で雷電のみがすさまじいけいこをして、取り組みでは全力で相手に立ち向かい、力でねじ伏せ、突き飛ばし、投げ倒し、土俵にたたきつける。容赦はせず、相撲を取るというのが礼儀だと思う雷電は、時には相手にけがを負わせる。 そんな彼の姿勢に親方や武士をはじめ周囲はとがめるが、彼は動じない。 雷電が生きた天明時代は、飢饉に襲われた。浅間山アイスランドラキ火山の大噴火による冷害が原因と言われている。作品の中で、飯嶋はこんなエピソードを入れている。 浅間の麓の飢饉がひどい村を少年の弟子一人とともに訪れた雷電は、生きる希望を失った村の人たちを前にして、弟子にぶつかり稽古をつける。 そのけいこ風景はすさまじい。ぶつかってくる弟子を容赦なくたたきつぶし、何度も何度も向かってくる弟子に対しものすごい形相で立ちはだかる雷電。意識がもうろうとするなかで、必死にぶつかる弟子に対して、村のひとたちは懸命に応援する。その声が聞こえたかのように、少年弟子は、ついに雷電を土俵から押し出すのだ。 翌日、雷電の耳に鬨の声が聞こえる。村の人たちは弓や竹やり、鎌、鍬を手にうさぎ、鹿、猪など山の動物たちを追いかけていた。村の人たちは、雷電と弟子の激しいぶつかり稽古から、どんな状況にあっても必死に生きようとする人間の姿を感じ取る。 このままでは死ぬわけには行かないと、生きるために狩りを始めたのだ。狩りを終えた村人たちの宴が始まり、人々の頬が夕日に照らし出される。飯嶋は、このエピソードを通じて、苦境にあえいでいても「明日への希望があるのだ」という思いを託したに違いない。 さて、現在の角界野球賭博にうつつをぬかす力士たちに雷電の精神は伝わっているとは思えない。現職の大関がこの問題の渦中にある。雷電が生きた時代からもう240年以上も過ぎている。しかし、人間は進歩していないなと思わざるを得ない。雷電のひた向きさを、現代の力士たちに求めることは無理なのだろうか。