小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

502 稀有な裁判官 「気骨ある判決」

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かつて日本の司法界には、2人の稀有な裁判官が存在した。太平洋戦争時代の翼賛選挙無効判決を出した吉田久と、悪法もまた法なりとして、戦後ヤミ物資の購入を拒否して餓死した山口良忠だ。山口の話は社会の教科書に載ったし、テレビドラマにもなったので、多くの人が知っている。しかし吉田の存在を知る人は司法界を含め少ないのではないか。 昨夜、NHKテレビで吉田を描いたドラマ「気骨ある判決」が放映された。原作は司法取材も担当したNHKの現職社会部記者である清永聡が新潮新書で出版した同名のノンフィクションだ。太平洋戦争当時、日本は戦争に勝つために国民一丸となる政策がとられる。政府に協力しない政治家は弾圧の対象になる。昭和17年の衆院選挙は翼賛選挙はといわれた。翼賛政治体制協議会という東條英機内閣の肝いりでつくられた組織の推薦がない候補者は選挙活動で警察や地方の役所から妨害を受け、多くが落選する。国民の投票の自由を奪う露骨な選挙妨害といえようか。ミャンマーやイランなどの最近の選挙に似ているやり方だ。 これに対し、落選した鹿児島の候補者から選挙無効の訴えが起こされ、大審院(現在の最高裁判所に当たる)の吉田以下の裁判官が審理を担当する。鹿児島で証人調べを行い、特高警察の尾行にさらされながら、吉田は昭和20年3月「選挙無効」の判決を下した。 吉田は、この裁判の審理に当たって「一筋縄ではいかないかもしれない。しかし法律にはぬくもりを与えたい」と語る。さらに「裁判では弱さを愛し、弱さを憎む」と話したように、彼の言葉からは誠実さが伝わるものが多い。判決の朝、吉田は家を出る際、妻に向かって「判決の後はもう帰ってこられないかもしれない」と漏らす。そうした不安がありながら、裁判官としての信念に従って選挙無効の判決を出した。それは作者の清永をして「気骨ある判決」という題名をつけるゆえんになったのだろう。 民主主義は「三権分立」が基本である。だが、司法の現状は行政、立法とは一線を画しているとは思えない。違憲判決が最近ほとんどないのはその典型だ。吉田が裁判官だった当時は全体主義の時代であり、法律は別にしてもあのような判決を出すこと自体勇気が必要だった。13日に書いた硫黄島の指揮官、栗林忠道と共通する「信念の人」が、激動の時代にも存在したのである。