小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

480 万葉の「歌垣」再び 携帯メールで俳句と短歌

日本の伝統文化である俳句と短歌。その素養がある人はうらやましい。俳句は17文字、短歌は31文字に凝縮して、森羅万象を表現する。

日本の誇るべき文化といっていい。残念ながら、私にはその素養はない。最近隅々まで普及した携帯電話のメール機能を利用した俳句と短歌のやりとりがブームになっているという。味なものだと思う。

周囲には俳句と短歌を愛する人が少なくない。旅をして必ず俳句をつくる友人、じっくりと短歌を書き続ける後輩たちを見ていると、私にも書けるのではないかと思ったりする。しかし、いざやろうとすると、言葉が浮かんでこないのだ。

携帯で俳句や短歌をやりとりするということは、けっこう面白そうだ。携帯を少し見直す気分になった。

以前、テレビで紹介された「携帯短歌」は、結婚した娘と父親が携帯電話を使って短歌のやりとりをするものだ。父親が上の句を考えて携帯メールで娘に送ると、下の句を娘が送り返すのだという。恋人たちが携帯メールで恋の歌を往復させることもけっこうはやっているらしい。

万葉集の時代から、日本には短歌と俳句で愛を表現し合う恋愛遊戯「歌垣」というならわしがあった。愛を訴える問歌・問句に対し、それに答歌・答句で応え、愛が成立する。携帯での短歌や俳句のやりとりはこの「歌垣」の現代版と言っていい。

日本再発見塾という催しに参加した際、俳人黛まどかさんと国文学者の上野誠奈良大学教授の進行役でこの歌垣が行われ、ない知恵を絞って俳句をつくった。「「星月夜 君の笑窪(えくぼ)に そっと触れ」 この句を黛さんが詠んでくれた。恥ずかしくもうれしい体験だった。

かつて、札幌に単身赴任したことがある。メールがいまほど普及していない時代だ。結婚した長女とファクスを使ってお互いの日常を報告した。面と向かっては言いにくいことも、娘は文章で書いてきた。

深夜に帰ると、娘からの手書きのファクスがよく届いていた。それに対する返事を書くのが楽しみだった。それは一冊の本になるくらいの量になった。

時代によって、伝達手段も変化をしていく。私と娘のようなファクスのやりとりはなくなり、いまは携帯メールかパソコンのメールが大部分だろう。そうした伝達手段を利用した現代版「歌垣」の流行は、落ち込んだ社会にうるおいを与える一種のカンフル剤の役割を果たすかもしれない。そう、思いたい。