小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

448 育児院と牛乳 アルメイダの精神

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大分市内の県庁近くの遊歩公園に「育児院と牛乳の記念碑」という変わった碑がある。その碑には以下のような文章が記されている。 ここ府内(大分市)に日本最初の洋式病院を建てたポルトガルの青年医師アルメイダは、わが国に初めてキリスト教を伝えたザビエルが去って3年後の1555年には既に府内に来ていた。当時日本は戦乱が続き、国民の中には貧窮のあまり嬰児を殺す習慣があった。これを知ったアルメイダは自費で育児院を建て、これらの嬰児を収容し、乳母と牝牛を置いて牛乳で育てた。これは近世に於ける福祉事業の先駆である。 アルメイダはルイス・デ・アルメイダという医師免許を持ったポルトガルの商人だ。地元大分や福祉・医療関係者には知られた存在かもしれないが、一般にはなじみの薄い名前だ。 大分には彼の名前を取った「大分市医師会立アルメイダ病院」があるという。貿易商人として財を成した後、キリスト教の布教活動や医師としての奉仕活動に生涯を送り、天草で亡くなった人物だ。ザビエルほど有名ではないが、日本人には恩人といっていい存在だ。 アルメイダが来日してから450年以上が過ぎ、新型インフルエンザが世界的流行になりつつある。日本でも感染者が広がり、政府や自治体は対策に追われ続けている。空港での水際対策は限界に近い。メキシコから広がった新型インフルエンザはアメリカ、カナダにと急速に広がり、低毒性といいながら、その伝染力の強さから不気味な存在といえる。 現在のように、グローバル化した時代では、このようなウイルスの進入を完全に防ぐのは困難だ。抵抗力の弱い人たちが感染すると大事に至ることは自明の理であり、途上国で流行すれば、低毒性だからとって安心することはできないのではないか。ある途上国の医療関係者はテレビのインタビューで「新型インフルエンザが蔓延したら、対応することは難しい」と語っていた。こういうときだからこそ、アルメイダの共助の精神が必要なのだと思う。
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冒頭の碑文の隣には左上に牛、左下に乳母と乳児、中央にアルメイダを描いた彫刻もある。母国を離れて遠い異郷の土になったアルメイダは、国際人だった。 大分を歩いた。福沢諭吉滝廉太郎といった大分出身の有名人以外に、アルメイダを知ったことは何よりも大きな収穫だった。(アルメイダの足跡は長崎県五島列島福江島にも残っていて、堂崎天主堂には、アルメイダが五島で布教した際の様子を描いたレリーフが飾られている)