小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

443 一番好きな季節は 立夏のころ

「一年のうちで一番いいのは、いまごろだな」「そうね。さわやかで新緑も美しい。いろいろな花も咲いているし、やはり晩春から初夏がいいね」「生まれたのも秋だし、私は秋が好きだなあ」。最近の家族の会話の一部である。

日本は四季折々、美しい自然を楽しむことができるので、人によって好きな季節は異なるかもしれない。人それぞれなので、夏や冬を愛する人もいるはずだ。年齢によって好みが変わることもあるだろう。

家族の会話の続き。「秋もいいけれど、何となく寂しい感じがあるね」「日暮が早いからだろうか」「そうかなあ。秋の透明感ある雰囲気がいいと思わない?」

秋は寂しいという感覚は、昔から日本人が抱いていた。新古今和歌集にも「三夕の歌」として、その寂しさを歌った3首がある。

藤原定家 見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやの秋の夕暮.

西行法師 さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮

寂蓮法師 心なき身にもあはれは知られけりしぎたつ澤の秋の夕ぐれ

一方、いまごろの季節を歌ったものに「夏は来ぬ」(佐々木信綱作詞、小山作之助作曲)がある。小学校で習った歌でだれでも知っている。「卯の花の 匂う垣根にほととぎす 早もきなきて忍び音もらす 夏は来ぬ」というあの歌だ。

卯の花はうつぎのことを言い、これを生垣に利用している家が昔はあったようだ。(ちなみに現代はあまり見かけない)歌にある「匂う」という表現は、うつぎには香りがないので、匂うは花が盛りに咲いているさまを指しているとする説がある。

広辞苑でも、匂うについて、本来のにおいの意味のほか「木・草または赤土などの色に染まる」あるいは「赤などのあざやかな色が美しく映える」「生き生きとした美しさなどが溢れる」などの意味があると紹介している。遊歩道にあるうつぎの花に顔を寄せてみたら、かすかに香りがした。微香である。万葉集研究でも知られる歌人の佐々木信綱は、香りの意味よりも後者の方で使ったのだろうか。

秋は寂しいと言ったのは、実は私と妻で、娘はそれに対しあまり反応を見せなかった。たぶん、若いうちは秋が寂しいなどという感覚はないのかもしれない。彼女もいつかは「人生の秋」を迎える。そうした年齢に達したときに、こんな会話をふと思い出すかもしれない。