小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

433 天才イチローは桜草 できることとできないこと

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大リーグに渡ったイチローが日本と大リーグを合わせて3086本の安打を打ち、張本の日本記録を破った。強打の張本と巧打のイチローの違いはあっても、2人に共通するのは、並外れた才能(人は天才という)と、向上心(努力)の強さだろう。 イチローは嫌いだと公言する友人がいる。この友人は大リーグの大ファンだ。豪速球投手、強打者が大リーグだと信じる彼は、イチロー的な小技の野球は見る価値がないというのだ。 だが、そんな小技の日本野球がWBCを連覇したのだから、彼はどう思うのだろうか。最近会っていないので、その辺のことが分からない。たぶん、辛口の評価があるかもしれない。 イチローは天才である。これはだれもが異存ないことだと思う。彼は、だれにでもできないようなことをあっさりやってしまう。WBCの決勝で、不調を克服して決勝点をたたき出す。生涯の節目ともいえる張本に並ぶ安打は満塁ホームランを打った。それは、天才にしかできないことであり、凡人にはできないことなのだ。 4月下旬に入った日曜日、日本の空は青かった。多くの人が戸外でさわやかな空気を吸っただろう。この空の遠くでイチローは、新たな限界に挑戦している。 こんなイチローには桜草が似合うと思う。(花言葉は、運命を開く、あるいは青春の始まりと悲しみ) あのひとを見つめた、あのひとも見つめた、見つめあったまま、しばらく足を停めた、 「人生」と「夢の境い目」に。 その後、二度と出会わずじまい、けれど私は立ち尽くす、桜草の小道に、それは「人生」が「夢」と出会う場所。 おお、あのとき「人生」は 「夢」合一できたのだった、「夢」はいつでも「人生」によって遠く 追放されるというのに。(夏目漱石の英詩・桜草、翻訳杉本秀太郎) 日本からアメリカに渡り、新しい世界を切り拓いているイチローは、野球という夢と見つめあっているのだろう。