小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

421 哀感あふれる捜査官の回顧録 田宮榮一著「警視庁捜査一課長」

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田宮榮一氏が出版した「警視庁捜査一課長 特捜本部事件簿」という本を読んだ。警視庁の鑑識課長を経て、日本の警察の中でも最も激務といわれる捜査一課長を務めた田宮さんが犯罪捜査に取り組む捜査員の姿を中心に、捜査の裏側の実態を哀感込めて振り返った作品である。 洗練された文章だ。練達の捜査官を経て、田宮氏はいまテレビの世界で生きている。 この作品には、当然事件記者も登場する。その名前を見て不思議な感覚が蘇った。同じ時代を共有したというのだろうか。事件を追う苦しさやつらさという感覚はうせているが、田宮氏の本の活字の中から彼らの姿が浮かび上がってくるのだ。 最終章の13章は「居酒屋の女将さんに捧ぐ-夜回り記者の溜まり場山形屋」という話だ。渋谷区笹塚の商店街の外れに、その居酒屋はあった。古い木造の2階建てで、山形屋という名前の通り、女将さんは山形出身だった。 友人に連れられて通った。女将はとうに70を過ぎていたようだ。不思議な雰囲気があり、カウンターに座ると、妙に落ち着いた。女将の山形弁が心地よいと思った。 友人も山形屋の常連だったのだ。ある日彼と田宮氏、この本に登場する朝日新聞清水建宇記者の3人が山形屋に行った。たしか清水記者は「呉越同舟できょうはサボりましょう」というような提案をし、友人も同調したという。 田宮氏は既に捜査一課長の激務を終え、一課長を指揮する立場に異動していた。2人の記者は仕事の質問はしない。ほかに客はなく、女将と3人の男の静かな夜が過ぎていった。これがこの本を読んだ友人の回想だ。 友人によると、あれから25年の歳月が流れたという。清水氏は朝日の論説委員をしながらテレビにも出演していた。朝日をやめてから長年の夢に向かって、独自の道を歩んでいるらしい。 田宮氏はというと、清水氏の後を追うようにテレビの世界に身を置いている。山形屋の女将が亡くなって、11年が過ぎた。田宮氏の本によると、山形屋はとうになくなり、跡地にはいまふうの建物が建っているという。 友人も私も、最近笹塚に行く機会がなく、山形屋のその後は知らなかった。歳月人を待たず(年月は人の都合にかまわず過ぎ去って、しばしもとどまることがない)という言葉が心に浮かんだ。