小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

385 宮崎のそば博士の生き方

勘違いは恐ろしい。昨年末のブログで、行ったことがないのは宮崎、大分、鳥取の3県だけだと書いた。ところが、よく考えてみたら、宮崎は20数年前に行っていたのだ。しかも、個性ある生活を送っている人に会っていたではないか。高齢化社会の理想の生き方をしているそば研究者だった。

長友大さんという宮崎大名誉教授は、宮崎市の隣町の清武町に奥さんと2人で住んでいた。その家がまず個性的なのだ。県道沿いにある家は瓦屋根でかなり古い。しかし家の前の庭には、何と横長のプールがあったのだ。幅は約1・5㍍、長さ7、8㍍くらい。深さは後で聞いたら1・5㍍ほどだった。このプールはどう使われるのか。

その前に、長友さんの話を書く。長友さんは宮崎大でそばの研究をライフワークにした。長友さんが書いた「ソバの科学」(新潮社)は、そば研究のバイブルともいわれる。そんな長友さんに、そばがなぜ日本の食の中で重要な位置を占めるのか、話を聞いた。そばはおいしく、しかも健康食品だ。そばに惹かれた長友さんは、そばのすべてを知るために一生をかけた。

話をした後、長友さんは助手席には私を乗せて軽トラックを運転して山道を上った。約10分もすると、小高い丘に着いた。そこが長友さんのそば畑だった。そこには原種ともいうべき宿根のそばが栽培されていた。一面が白い花で覆われていた。長友さんはその何本かを引き抜き、土産に持ち帰ってくださいと言った。

山の畑から戻ると、長友さんは「プールに入るので、ちょっと待ってください」と、裸になって庭のプールに入った。約10分。私も小さなプールに入りたくなったが、我慢した。先生はプールから上がると「私は見ての通り丸裸で、妻は水着で毎日プールに入るのですよ。宮崎でこういう生活をしているのは、私たち夫婦だけかもしれません。これが私たちの健康の秘けつですよ」と言って、笑っていた。

長友さんは朝食後そば畑の手入れをし、家に戻るとプールに入る。昼食後、書斎にこもって論文を書くという生活が基本的パターンだとも話してくれた。元歯科医の奥さんも引退し2人きりの生活だが、充実した日々を送っていることが想像できた。

長友さんは2002年3月、83歳で亡くなった。宮崎の長友さんの研究用畑からもらってきたそばは、いまも私の家の庭の一角で毎年白い花を咲かせている。