小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

360 透明な季節の中で 不透明な日本社会

空気は乾き透明感の強い一日、少し足を延ばして郊外を歩くと、木々の葉が赤や黄色に色づき、つい見とれて足を止めたくなった。家に帰ると、目の前にあるけやき並木からは、強い風にあおられた葉が次々に飛んできて、狭い庭は落ち葉で一杯になっている。

空は「限りなく透明に近いブルー」(村上龍の小説より)といっていい。眺めていると、吸い込まれるような、そんな深い色をしている。立冬はとうに過ぎたのだから、このような西高東低がもたらす気候は当然だ。そんな、澄み切った自然とは逆に、いま日本社会で不透明な出来事が相次いでいることに当惑する。

米国発の金融危機は日本経済全体の危機に波及し、銀行も自動車会社も果てはテレビ局、広告会社もその波をまともに受け、苦境の決算予測が連日新聞紙上をにぎわしている。そのしわ寄せは当然、下請けの中小企業に及んでいる。出口の見えないトンネルに日本社会も入ってしまったのだろうか。

年金問題で国民の批判にさらされ続けている旧厚生省の元次官が相次いで襲われた事件は、この不透明な時代を象徴するようで、暗澹とした気持ちになった。

閉塞感が強まると、過去にはテロが起きた。この事件がテロかどうかは分からないが、個人的恨みよりも、不祥事続きの年金問題に対し、強い反感を抱いた人間の犯行との見方もできよう。

かつて、知り合った厚生省の若い官僚に厚生省を選んだ理由を聞いたことがある。斜に構えるのが得意な私は、生意気な答えを期待した。しかし、この官僚は「世の中の弱い人や貧しい人の役に立とうと思い、この役所を選びました」と、生真面目に答えた。

ほかにも何人かに同じ質問を試みたが、返ってくる答えは似たようなものだった。若い時代は純粋だ。このような思いで役所に入りながら、いつかは志よりも、自分の利益のために働くようになる。被害に遭った2人の元事務次官がそのような人とは思えない。年金問題のエキスパートといわれる2人の過去が事件の鍵を解くキーワードになるのだろうか。

峠見ゆ11月のむなしさに 細見綾子

(「11月のむなしさに」と、大胆に言ってのけた。理由のない心の空虚感。それは雲一つない、小春日和の「太虚」=虚空、大空=に通じる。澄みわたった青空に、一つの峠を鮮やかに浮かび上がらせる。山でも峰でもなく、人の通う道がずっと続いている「峠」に作者の心が通うのである。 -山本健吉編 句歌歳時記より-)