小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

334 中欧の旅(8) たくましいハンガリー女性

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ハンガリーの首都ブタペストは、チェコプラハと同様に、旧市街が世界遺産に指定された美しい街並みが続いている。街の真ん中をドナウ川が流れ、何となく気持ちが落ち着く。そんな街に住む1人の女性は教師のほかに日本人向けのガイドのアルバイトをしている。長身で理知的な顔立ちをした彼女の話には、感心することが多かった 彼女はブタペスト大学を卒業して日本の大阪外大に1年間留学した。プラハに戻ってすぐに結婚し、2人の子どもがいるという。年齢は推定40歳。日本に留学したのは18年前というから、1990年のことだ。日本ではバブル経済の終わりの時期だったが、彼女は外大で日本語の勉強をする一方、茶道とお花を学んだあと、和服を着てある大きな料亭のアルバイトをした。
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日本に留学する直前、ブタペストで恋人ができた。だから、日本に留学してもその恋人と会いたくて、1年で帰る決心をしたのだそうだ。彼女はついていたとしか言いようがない。1年のアルバイトで帰国する時には、ハンガリーの首都・ブタペストでマンションを買えるだけの貯金ができた。 具体的な金額について彼女は言わないが、いまから17年前のハンガリーと日本の為替差額を考えると、なるほどと見当がつく。バブルによって、ふところが膨らんでいた関西経済界の成金たちが背の高い彼女にふんだんにチップを弾んだのだろうかと想像した。彼女はブタペスト市内に40平米のマンションを購入、それが現在では5倍に値上がりしたという。
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先にも書いたが、ハンガリーの1人当たりの国民総所得(GNI)は、年間で1万950ドルと低い。だから、20歳台の若さでブタペストにマンションを持った彼女は例外中の例外なのではないかと思った。マンションを買うと聞いて、両親は驚いたというが、そうだろう。日本は何て金持ちの国と思ったに違いない。
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彼女は、青春時代の1年を送った日本が好きだという。子どもにも日本語を教え、将来は日本に留学をさせたいと考えている。教師として、現在の家庭の在り方について「子どもは以前より運動をしなくなった。いまは学校から帰るとテレビを見るかゲームをしている。親は共稼ぎが普通なので、お母さんが料理をしないで、出来合いを買ってくることが多い。私の経験からみても和食の方が体にいい」と言い切った こんな話を聞いた夜、ブタペスト市内を流れるドナウ川クルーズの船に乗った。何とも表現がしようがないほどの見事な夜景が次々と眼前に広がる。こんな美しい夜景を毎日見ていたら、感性が豊かになるだろうと思ったものだ。