小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

328 中欧の旅(2) 歴史の舞台裏・ポツダム

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ドイツ・ポツダムは「ポツダム会談」や「ポツダム宣言」という世界史の舞台として知られる。しかしポツダムが名建築の街とは知らなかった。実はポツダム会談はその名建築物を舞台に行われたのだという。
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ポツダムはベルリンから30数㌔しか離れていない。通勤圏といえようか。サンスーシ公園には1747年に完成したという宮殿があり、前庭には階段状の温室がある。そこにはイチジクの木が植えられている。寒い地域でも、イチジクを食べたいという大王のために、工夫して温室を作ったというのだから、ぜいたくだ。
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ポツダム会談が開かれたのはソ連によって接収されたツェツィーリエンホーフ宮殿で、ドイツ帝国最後の皇太子の狩用の館として1917年に建てられた。そう大きな建物ではないが、ここに1945年7月から8月にかけて米英ソの3国首脳が集まり、第二次世界大戦の戦後処理と日本の終戦について話し合った。その結果、ポツダム宣言ポツダム協定の内容が決まったのだった。 会談に参加した首脳は、ソ連スターリン、米国がトルーマン、英国がチャーチル(途中でアトリーに交代)だった。会談に使われた部屋にはソ連が持ち込んだという大型の会議用テーブルがあり、いまもそのまま残されていた。さらに英国首脳の執務室には、犬好きだったが、連れてくることができなかったチャーチルのために、チャーチルと犬の絵が飾られていた。 首脳たちは議論の合間には、庭に出て美しい景色に目をやり、議論の疲れを癒したのだろうか。猜疑心が強かったスターリンは、そうした余裕はなかったのかもしれないが、一方のチャーチルは、葉巻たばこをくわえて、庭を歩き回ったのではないかと想像する。舘を見学していて、60数年前の首脳たちがいまにも目の前に姿を現すような錯覚を覚えた。