小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

324 電車内で立ったままの食事 常識の変化?

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地下鉄銀座線の中で、目を疑う光景を見た。新橋から虎ノ門に向かう満員に近い車内で、立ったままの日本人と思われる若い女性がビニール袋からおにぎりを取り出し、食べ始めたのだ。 隣に立っていた私は信じられない思いで、つい彼女の顔を見てしまった。違和感というのだろうか。最近、電車内での食事を書いたエッセーを読んだばかりで、その内容と重なった。 若い女性は私の視線に気がついたのか、満員電車の中にかかわらずくるりと向きを変え、私に背中を見せながらそのまま食べ続けた。私は間もなく電車を降り、重い気持ちで道を歩いた。電車内の食事の光景に釈然としないとエッセーで書いたのは、作家の故吉村昭さんだ。「私の普段着」(新潮文庫)というエッセー集の中にある「お食事」という短文は、中央線が舞台だ。 昼過ぎに東京駅から中央線の下りに乗った吉村さんが座席に座ると、向かいの座席に座った27、8歳くらいの若い外国人の女性が駅弁を取り出し、はしを使って米飯を食べ始めた。吉村さんは呆然として見ていたが、彼女は他人の眼を気にすることなく、口を動かしている。落ち着かなくなった吉村さんは席を立って隣の車両に移った。目的地でこの電車から降りて、歩きながら女性の方を見ると、ペットボトルのお茶をゆったりと飲んでいたという。 短いエッセーだが、吉村さんの驚きが伝わる。この1年前にも吉村さんは電車の中でパンにジャムを塗って食べ、さらに野菜サラダも口にした後、スープをカップに注いでいる外国人女性を見たという。「列車内で弁当を使うのは通常だが、電車内で食事をしてはならないという法律はなく、社会常識としてそれをとがめ立てする定めもない」「2度とも外国の女性であったことからみると、外国では、電車内での食事は別に不思議ではないのだろうか」と、吉村さんは書く。 電車で食事をする外国人女性を見て驚いた吉村さんが、銀座線の日本人女性(確認はとれないが)を見たら、何と言っただろうか。たぶん、私と同じ反応をしたかもしれない。 数年前に、同じように地下鉄の車内で立ったままパンを食べ、下車したあと改札口を出てからもパンを食べながら歩く若い女性(これも日本人と思われる)を見たことがある。食事に対する若者の常識が変化しているのか、単に礼儀(マナー)を知らないことなのか。 くだんの女性は寝坊して朝食の時間がなくなったために、人の眼など気にせずにおにぎりを口に入れたのかなどと想像した。だが、同じ状況でも私にはできないことであり、知り合いが同じ行為をしたら、おせっかいでも注意をするだろうと思った。