小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

317 8月(9) 近くて遠い旅

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作者の坂上弘さんは、1936年の生まれだ。いまでは珍しくはないが、19歳という若さで芥川賞の候補作を書いた早熟の作家だ。ペン1本の道は選ばず、リコーに勤めながら作家活動も続けた。 先ごろ、ある会合でお会いしたが、温厚な人柄の紳士である。「近くて遠い旅」は読売新聞に約8ヵ月にわたって連載した長編だ。坂上さんの人柄が滲み出るような味わい深い作品であり、坂上さん自身を思わせる子会社の社長を務める山崎修吾を軸に描かれる数人の女性がみな個性的なのだ。 第1章の前の頁に次の短い文章が掲載されている。 「生きることはあらゆる点でひどく忍耐のいる仕事だ。しかし、生きようとしない人間には、意味がないと、私は思う」。 交通事故のため、34歳で亡くなった作家の山川方夫の言葉である。この「生きること」を前提に、物語は展開していく。山川のプロフィールを見ると、坂上さんとの接点が多い。「近くて遠い旅」の修吾を大事にしてくれる先輩はたぶん山上がモデルなのだと思う。 女性が個性的と書いたが、ドイツに住み一人娘が乳がんで命の瀬戸際にある従妹の清子、散歩の途中に貸し農園で出会った美しい女性の洋子もまた乳がんで体にメスが入っている。そして、先輩の初恋の相手で染色家の蕗子、オランダで学んだ家具に絵模様を描く工房を自宅で開く修吾の妻の淑子と、それぞれが精一杯生きている。 大手メーカーの子会社で半導体研究所の経営者である修吾は、帰郷した同世代の清子とともに秩父路を歩き、1人娘のユーリエが乳がんになり、深刻な状況にあることを打ち明けられる。 その後、ドイツの提携先との商談に出張した修吾はユーリエとも会うが、彼の帰国後彼女は亡くなってしまう。葬式に出席できない修吾のために、ドイツからパソコンを通じて葬儀の模様が映し出される場面もある。実際、このように大事な人の葬儀の模様をパソコンの画面を通じてみることができる時代になっているのである。 自然への造詣の深さ、生きる意味を問う感性の豊かさが作品からは伝わってくる。会社勤務で坂上さんが体得した考え方もさらりと書かれている。会社の経営者として修吾が淑子の質問に答えるくだりだ。「会社の部下にマイナスになることはしてはならないと言ってきた。それは2つある。 「世の中の動きを知らないでいることと人の足を引っ張ることだ。プラスになることも2つしかない。自立と他人の役に立つということ。これだけやり続けていれば会社はよくなる」 最愛の娘を失った清子を思いながら、洋子とともに秩父路を歩くラストシーンは美しい。決して明るい作品ではない。厳しい現実に直面しながら、会社人生の最終章を歩む男の哀愁。それはいま団塊の世代の人々がたどっている日常を連想させるものだ。