小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

316 8月(8) 平凡な日常を大事に 北京五輪に思う

北京五輪が盛大に開催されている。五輪は「平和の祭典」ともいわれた。だが、五輪の開会式に世界の首脳が参加した直後、グルジアとロシアの軍事戦闘(戦争)が始まっていた。ロシアの前大統領・プーチン首相も堂々と五輪の開会式に出席したのだから、あきれたものだと思った。

グルジアを昨年訪問した友人によると、この国はクレオパトラも愛飲したワインの発祥地だそうだ。複雑な歴史があり、旧ソ連から91年に独立し、現在の政権はロシア離れを図っているという。

友人はグルジアの情勢について「コメントできないというのが正直なところだ」と語るが、圧倒的な軍事力を誇るロシアに対抗するのは困難であるというのが一般的な見方だ。ロシアとグルジア両国から五輪に選手が出場しているのだから、「平和の祭典」という代名詞は捨てなくてはなるまい。

この北京五輪期間中に、日本は広島、長崎の原爆の日、さらに8月15日の終戦記念日を迎えた。アブラゼミがうるさいほど鳴き、暑い日々が続いた。

それは63年前の夏とはそう大差はない。東京はじめ焦土と化した多くの都市で、人々は極度の不安な時間を送った。はたして、人間として誇りを持って生きて行くことができるだろうかと。

戦後の復興はゼロからのスタートだった。しかし持ち前の強い向上心で日本社会は高度経済成長を成し遂げた。さらにバブル経済へと続き、いつしか日本人は誇りよりもカネにまみれてしまった。

それから茨の道を歩くことを余儀なくされた。失われた10年を経て、失意を味わった人々はかつての誇りを取り戻しただのだろうか。偽りの商行為が相変わらず表面化しているところを見ると、答えは出せない。

私の父をはじめ、あの戦争で犠牲になった人びとは、いまの日本の姿を見て、どのように感じるだろう。現代に生きる私たちは、そうした人びとの魂を前に胸を張ることができるだろうか。

そんなことを考えながらお盆の休みを取った夕方、犬の散歩コースである小さな森の道を歩いた。ヒグラシゼミが「カナカナカナ」と鳴いている。うるさいアブラゼミよりこちらの方が私は好きだ。薄暗い森には私と犬しかいない。空気はきれいだ。胸いっぱいに酸素を吸い込む。こうした平凡な日常こそが大事なのだと思いながら、のんびりと歩き続けていると、遅いウグイスが鳴いていた。