小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

315 8月(7) フェアプレーとは 北京五輪に思う

北京五輪の女子柔道で、78キロ超級の塚田真希は決勝で中国の佟文をリードしながら、残り8秒で背負い投げを打たれ、銀メダルに終わった。この試合をテレビで観戦していて、スポーツにとって大事な「フェアプレー精神」(欧州流にいえば騎士道精神か)はどこに行ったのだろうかと思った。

塚田のことではない。優勝した佟文の戦いぶり見て、そう感じた。体格から見ても、佟文が優位と思われた。しかし、塚田は終始試合をリードし続けた。攻める塚田に佟文は防戦一方で、しばしば、柔道着の帯を緩ませ、息が上がりそうになると、ゆっくりと帯を締め直す。スタミナで劣るための駆け引きなのだろう。

それは反則ではないにしても、その間に息を整え、コーチの声を聞く。審判が注意すべきなのに、そうした佟文の駆け引きに審判は何も言わない。

帯だけでなく、下着の方まで直したりする姿勢に私はいらだった。それは家族も同じ思いらしく「ひどい」という声が隣から上がる。絶体絶命に追い込まれながら、起死回生の背負い投げを出したのだから、それ自体は素晴らしいことだが、それまでの帯を直す行為は、フェアプレー精神とは程遠い。

それに対し、塚田の淡々とした表情は清々しいと感じた。勝つためには、あらゆる手段を使う。それが「ハングリー精神」だとしても、私は是としない。最近の五輪では、フェアプレーよりも「勝ち」を最優先にした選手たちの姿勢が目立つようになったと思うのは私だけでもあるまい。

塚田は残念だったが、男子百キロ超級の石井慧は素晴らしい試合を繰り返し、金メダルを獲得した。NHKの放送で解説者の篠原信一氏(シドニー大会銀メダリスト)の解説が愉快だった。

準々決勝で勝った後で「きょうは最近の石井としては一番調子がいい。間違いなく金メダルを取りますよ」と言い切ったのだ。それに対し、アナウンサーが「では私も安心して実況できますね」と話すと、さらに「安心して実況してください」と駄目押しをしたのだ。大胆だが、さすがに専門家の目をしていると思ったものだ。

テレビの解説で、すごいと思ったのは、14日夜の水泳女子800メートル自由形アテネ大会の金メダリスト柴田亜依が予選で7位に終わった放送だ。途中からトップグループに大幅に遅れ、予選突破は絶望になったとき、解説者が「柴田はゴーグルの中で涙を流しながら泳いでいると思う」と話したのだ。

解説者の名前は知らないが、前回の金メダリストのつらい状況を的確に伝えており、柴田の胸中を思い「これまでよくやった」と、声を掛けたくなった。