小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

314 8月(6) 五輪の夏 野口選手に同情

第18回東京五輪が開かれたのは、いまから44年前の1964年10月だった。東京五輪といえば10月10日の開会式当日の「澄み切った秋の青い空」を思い出す人が多いはずだ。いまは8月。酷暑の中で北京五輪が開催中だ。選手たちは試合での戦いに加え、暑さという大敵にも挑んでいる。

北京五輪の盛大な開会式がいろいろ論議を呼んでいる。語り草になっているナチス・ドイツの「ベルリン五輪」(1936年の第11回大会)と並ぶ「国威発揚」を前面に打ち出した派手な五輪といえるのではないか。

開会式は、名作といわれた「紅いコーリャン」の張芸謀チャン・イーモウ)監督の演出であり、その時間の長さには驚いた。過剰演出という声さえもある。

宙に浮いた最終聖火ランナーを含めて、往年の金メダリストたちが競技場で聖火を引き継いだが、東京五輪最終走者の坂井義則さんやシドニー大会の女子スプリンターのキャシー・フリーマンさん(先住民族アボリジニの子孫)の美しい走りが脳裏に焼きついているだけに、この元選手たちの起用は成功だったとは言えない。

かつて、五輪といえば「アマチュア精神」が大きな拠り所だった。しかし、いつしかプロもアマも区別ない時代になり、いまや「商業主義」が横溢し、全く別次元の大会になっている。

個人の力だけでは五輪では勝てない。マラソン選手一人をとってみても、コーチをはじめ多くのスタッフが日夜付き添う。中国高地の練習で太ももを痛めたという女子マラソン野口みずきの動向が注目を集めた。

その結果、欠場すると発表した。寝食をともにしたスタッフの存在を考えると、野口の胸中は穏やかではないだろうと同情する。水泳の北島がアテネに続いて百平泳ぎで金メダルを獲得しただけに、彼女の無念さはいかばかりかと思う。

それにしても民放各局のはしゃぎぶりは、いまさらながら、首をひねる。新聞の社会面も似たようなものだ。ネタが少ない苦し紛れからか、それぞれ1回戦で負けた柔道の金丸雄介佐藤愛子を取り上げた新聞もある。

相手に投げつけられけがをして担架で運ばれた佐藤を「北の頑固娘奮闘」という見出しで書いているがやりすぎだ。暑さで冷静さを失ってしまったのだろうか。

いろんな思惑があっても、全力を尽くすスポーツ選手の姿はすがすがしい。柔道の谷本歩実の全部1本勝ちでの金メダルは爽快だった。男子柔道の内柴正人と同様、アテネに続く2大会連続金メダルだが、2人ともアテネの後不調に陥ったということでも共通点がある。それを克服しての金メダルは大きな価値がある。