小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

299 畳の上で死ぬということ 在宅ホスピス・ケアの時代に

後期高齢者医療制度」という新しい制度に批判が集中した。高齢者の定義は難しい。しかし、いずれにしろ人間は年をとる、とらないにかかわらずいつか死ぬ運命にある。千葉市幕張メッセで開かれた「日本ホスピス・在宅ケア研究会全国大会」をのぞいて、いま病院が死の床になっている中で、末期の患者たちが自宅で死を迎えることができるように、地道な活動をしている医療関係者がいることを知った。

死語になりつつあった「畳の上で死にたい」という台詞が次第に復活しているのだという。一つの統計がある。日本の70歳以上の高齢者が亡くなった場所は、1970年当時は77%が自宅であり、病院のベッドで息を引き取った人は19%しかいなかった。

医療の発達とともに病院での死が次第に増え、10年後の80年には病院46%、自宅51%と接近し、その5年後には逆転(病院61%、自宅37%)する。94年は70年当時と反対に病院が74%、自宅が24%という数字が残っており、その後も比率は病院の方が高くなっていく。

家で「最期の時」を迎えてもらおうという、医師や看護師たちの思いは次第に浸透していく。末期の患者たちが家に戻った際に、在宅ケアを行い、最期の看取りをする医師たちの活動の広がりが目に見えて普及しつつある。大会に参加したノンフィクション作家の柳田邦夫さんは「人間は自分の物語を生きている。最終章をどう書くかを模索しながら死を意識する時代だ」と、在宅ホスピスケアについて解説した。

こうした在宅ケアを推進する医師たちと病院勤務の医師たちは認識に隔たりがあるようだ。衰弱した患者を見て、ある大病院の医師は在宅ケアの医師「こんなになるまで置いていたのか」と言ったそうだが、在宅ケアの医師に言わせると、「病院にいるよりも家に戻ったあとはいきいきとして、しかも延命した」というから、自宅のよさは医療とは別の次元の何かがあるのだろう。

「人は死んだらどうなるか」。死生観は人それぞれだが、在宅ケアの医師が末期の患者に質問したところ多くは「別の世界がある」と答えるという。「私が死んだらサインを出します。ロウソクの火が揺れたら私と思って下さい」と話した患者もいたそうだ。日本の家庭から、畳が姿を消しつつあり、「畳の上で死ぬ」理想は達成できないのかもしれない。が、愛着のある家で死ぬということは、畳の上で死ぬことと同じことである。

柳田さんの言葉が心に残った。「一人になっても在宅ケアを受けることができるとは、何と心強いことか。現代の日本は、家族も大切だが、一人になった場合、友人や地域との交流がもっと大事なんだと思いました」