小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

258 ある教師の短い一生

いま、日本は自殺社会といわれる。年間の自殺者が9年連続して3万人を超えている。何が人を自殺へと追い込むのだろうか。人が自分の命を絶つことには、さまざまな理由があるだろう。

しかし、先進国の中でも際立って自殺者が多いという現実は、考えざるを得ない。明日への夢が持てない社会になってしまったのだろうか。

中学時代、尊敬する教師が何人かいた。その中でも2年生になって社会科を教わった教師は波長も合い、特にその時間が楽しかった。担任ではないが、話が分かりやすく、自分たちがどのような時代に生きているかを教えてくれた。

祖母が新聞を読むのが日課だったために、私も子どものころから新聞を読むのが習慣だった。それが、社会科の勉強には役に立ち、先生の話すことがよく理解できたのだ。

中学を卒業するまでの短い付き合いだった。だが、折に触れて、この先生の授業を思い出した。先生が死んだと聞いたのは、10数年後だった。久しぶりにクラス会があり、出席するとその話を聞いた。自殺だったという。

しかし、理由は分からなかった。クラス会では、私たちが中学1年の時に社会と国語を教わった若い先生に恋をしたが、ふられてしまい、絶望のあまり自殺したという話も聞いた。

その後、気にはなっていても死んだ人の話題は避けるようになり、何度か開かれたクラス会で、先生のことを口にする友人はいなくなった。

最近、その真相を聞いた。30歳を過ぎた先生にも遅い春はやってきて、結婚した。同じ中学の若い先生ではなかったが、幸せな生活が続いた。子どもが生まれ、幸せの絶頂のはずだったのに、生まれてきた子どもは障害者だった。

心優しい先生は悩んだ。どうしたらこの子を育てることができるかと。その答えは見つからない。ある日、先生は絶望のあまり、裏山に入り、短い人生に終止符を打つことにした。

友人は言う。「先生は死を選んだことで責任を放棄した。残された奥さんと子どもは可愛そうだ。2人のその後は分からないが、先生は無責任だと思う」。私は返す言葉がなかった。短い一生を終えるに当たって先生が何を思ったか、それを考えるとただ黙るしかなかった。