小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

255 ひた向きで不器用な生き方 野茂、金本…

だれでも、自分の信じた道を貫きたいと思う。しかし、志半ばにして、あきらめざるを得ない状況になるのが普通だ。特にスポーツの世界はそうだ。

体がぼろぼろになって、かつての栄光から見離された境遇に追い込まれた選手は寂しいものがある。そうした固定観念を打破しようとしているのが、大リーグに挑戦し続ける野茂秀雄投手だろう。

トルネード投法から繰り出すフォークボールで、大リーグの一流打者から三振の山を築いた野茂は、1000日もの長い旅に出ていた。3年前に、デビルレイズから戦力外通告を受けたあとは、大リーグのマイナーを渡り歩いた。右ひじの手術も受けた。ベネズエラのリーグでも投げた。そして、39歳になってメジャーのロイヤルズに復帰したのだ。

現地時間10日、ヤンキース戦に途中登板した。もちろん、大リーグ初登場時の球威はない。しかしこれがひた向きに生きる人間の顔だと思う。私たちは、ともすれば器用にスマートに生きることを考える。その対極にあるのが野茂的な、不器用で愚直な生き方だ。

功利主義全盛とも思える時代に「不器用さ」「愚直さ」「ひた向きさ」は不要と思えるかもしれない。だが、こういう時代だからこそ、この3つの要素は重要だ。

振り返ってわが身を考える。胸を張って3要素を満たす行動をしているだろうか。それは、よく分からない。

華やかさを経験せずに、いつも裏方的存在で生きている人は少なくない。そうした人には「いぶし銀」のような控えめな輝きがあると思う。そうした人の話は、じっくり聞いてみるだけの価値がある。

野茂は、華やかさを経験したにもかかわらず、話はぶっきらぼうだ。だが、それが彼の不器用な生き方を示しているのだ。それは、なぜか裏方的生き方をした人に共通する味わいがあるのだ。

日本では、阪神の金本選手が、40歳にして2000本安打を記録した。「大器晩成」という表現がぴったりの活躍ぶりだ。連続全イニング出場の記録を更新中の金本は野茂に劣らず、ひた向きな生き方を続けている敬愛すべき選手の1人だ。