小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

253 春の日に友人たち想う

数年前、中国に住む友人からメールが届いた。それは50代で亡くなった後輩の話を書いた不思議な内容だった。これまでかなりメールをやりとりしているが、忘れられないメールの一つだ。桜の季節になると思い出すのはなぜなのだろう。

以下はそのメール。

けさN君の夢を見ました。NHKが死について特集番組を放映し、その中にN君が登場していたのです。夢の中ではN君はサングラスを掛けていました。

そして亡くなったのはN君ではなくて彼のお母さんという設定です。夢の中で私はテレビを見ています。病院の車がある建物に到着し、ホテルのボーイのような青い服を来た40くらいの男性―その人は葬儀屋の人みたいです―が車に近づいてきてお母さんがおさめられたお棺をストレッチャーで建物のそばまで運びまました。

するとN君がお棺に近づいてのぞき込みました。建物は火葬場かもしれません。N君は涙を必死にこらえています。それは社会部記者として、現実をよく直視するんだという表情です(と、夢の中で私はそう認識しているのです)。ほかの遺族の方たちも近づきました。

その表情はよく見えません。テレビはもういちどN君をアップしました。こちらを見ています。顔は硬くこわばっています。夢はそこで終わりました。随分長い夢だったような気がしますが目が覚めて記憶していたのはそれだけでした。

まことに奇妙な夢です。N君はこの世に心残りがあるのではないか、と思いました。50代半ばの死ですからね。昨年夏、私は般若心経の掛け軸を令夫人に受け取ってもらい、心の中でお経を唱えてきました。しかし私のお経の力が足りなかったようです。ちょっと心残りです。

私の返事。

きのうが私の誕生日でした。ということは、貴兄も誕生日だったのですね。ついこの間、誕生日の食事を家族としたと思っていたのに、もう1年が過ぎたのですから、月日がたつのが早く感じます。

ところで、N君の話ですが、彼が亡くなった後、やはり貴兄と同じようにニューデリーのT君も彼の夢を見たそうです。T君は私が千葉勤務時代に新人として入ってきて、その後私たちと同じ職場を経てバンコクに行き、いまはニューデリーにいます。

N君とは地方で一緒に仕事をした経験があるそうです。T君の夢では、N君はインドに現れたのだそうです。お釈迦さまのところに行く途中に寄ったのでしょうか。

彼はまだやりたい仕事がいろいろあったのではないでしょうか。そのために、インドや中国の知り合いに夢の中で会いに行ったのかもしれません。あらためて私も冥福を祈ります。

貴兄は、中国に行って、もう5年が過ぎましたね。中国語はもう自由自在だと思います。貴兄の生き方を見ていますと、「悠久」という言葉を思い浮かべます。

果てしなく長く続くという意味なのですが、貴兄は生きる目的を探して中国での悠久の生活を続けているのでしょうか。そんな印象が強いのです。たまには近況をお知らせください。そして、帰国の際は、必ず連絡してください。

(注)2人の夢に現れたN君は、教育問題をライフワークにしていたジャーナリストで「アダルトチルドレン」という言葉を日本に広めた。50代半ばにして、がんに侵され亡くなった。奥さんは、友人たちが開いたしのぶ会で「仕事をがむしゃらにやり抜いた人生でした。生き急いで、風が吹き抜けるように私たちのもとから去っていきました」と話した。