小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

252 赤毛のアン100年 周囲を明るくさせる個性

つい最近まで、私の近くにカナダのL・M・モンゴメリの小説『赤毛のアン』をほうふつとさせる人がいた。本人はそのことには気づいていないかもしれない。あるいは、アンの生き方を指針にしていたのかもしれない。

モンゴメリがこの小説を発表したのは、ちょうど100年前の1908年だった。以来、ベストセラーとして世界中で読み継がれ、ストーリーは世界中の人々が知っている。孤児院暮らしだったアン・シャーリーが、11歳でプリンス・エドワード島のカスバート家に引き取られてから物語は進んで行く。

トム・ソーヤの冒険」「ハックルベリー・フィンの冒険」の作者、マーク・トウェインモンゴメリに「かの不滅のアリス(ルイス・キャロル作、ふしぎの国のアリスの主人公)以来最も可愛らしく、最も感動的で最も利発な子」と絶賛の手紙を送ったというエピソードがある。

本を読んだことがない人でもアンがいかに魅力ある少女であるか見当がつくはずだ。アンは存在自体、周囲を明るくさせる何かを持っているのだ。

孤児院育ちというハンディキャップを背負いながら、強い向学心、好奇心、人を魅了させる明るい性格で、カスバート家だけでなく、いつしか周囲のだれもがアンを愛するようになる。

そうした個性は、生まれながらにして持っていたのだ。アンには、マシュウとマリラというかけがいのない人がいた。孤児院から男の子と間違って引き取り、いつしかアンを心から愛する農場経営の純朴な兄妹だ。2人をてこずらせながら、アンは成長していく。

私の知る人はアンのような境遇ではない。もちろん、髪の毛は赤くはないし男と間違えられることもない。アンよりも、格段に恵まれた生い立ちのはずだ。だが、好奇心と前向きな生き方と、周囲を明るくさせる個性はアンと比べても遜色はない。時に会話を交わすと、お互いに憎まれ口をたたいたりする。でも憎めない。不思議な人なのだ。赤毛のアンの愛読者だったらしい。

私はマシュウとマリラがアンを引き取ったような冒険はもうできない。しかし、アンを見守る2人の心境は痛いように分かる。人生で何が大事なのかこの2人から教えられた気がする。それは「無私の精神」だと思う。そうした精神が、日本からも世界からも次第に失われている。

近くにいた人は、自分の生き方を見つけようと、最近新たな行動を起こした。その勇気に私自身も少なからず力を得た思いだ。マシュウ、マリラ兄妹がはらはらしながらアンを見守るように、私も遠くからこの若い友人を応援したい。