小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

251 人生に影響を受けた出会い

進路を決めるに当たって、迷いがない人は少ない。私もその1人だ。何を職業として選択するか、いろいろと迷ったものだ。だが、少年時代に出会った人の一言が結局は私の人生を左右した。

中学1年生の時に社会と国語の教師として、大学を出たばかりの若い女性の先生がやってきた。小柄で物静かな雰囲気の先生だった。そのころは「知的」という語彙は私の中にはなかったが、いま考えるとこの表現が一番適切と思える顔をしていた。

悪い友だちは、新任の先生を毎日のようにからかい、なかなか教室は静かにならない。それでも先生は、物静かな表情を崩さず、たんたんと授業を続ける。しばらくすると、みんな大人しくなる。

そんな日常が続いた。ある日、また悪友2人が社会科の授業で先生をからかい、教室の一角から床下にもぐりこんだ。教室の床の一部は取り外しができ、床下にもぐることができるようになっていた。2人がいなくなれば新任の教師でもすぐに気がつく。

床下に向かって、先生は「戻ってきなさい」と何度も声をかける。しかし、2人は知らんふりして、返事をしない。すると、先生の目から涙があふれる。そしてこんなことを言ったのだ。

「君たち、授業が嫌いだからといって、そんな態度はよくないと思う。分からないことがあったら○○さんに聞きなさい。○○さんは社会と国語をひた向きに勉強をしているわよ」

それは私のことだった。恥ずかしくて、一緒に床下にもぐりこみたかった。それでもうれしかった。たしかに社会や国語は嫌いではなかった。

だが、この一言でさらに好きになり、将来は社会の動きを見つめ、文章を書く仕事をしたいとぼんやりと考えるようになった。幸運にもその思いがかない、いまもその延長線上で日々を送っている。

これまで、多くの人と出会った。その中でも、この先生との出会いは鮮烈な思い出として脳裏に刻まれている。その後先生は多くの生徒を教えた。そして私だけでなく、後輩たちに生きるうえで大きな影響を与えた。