小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

241 少年の夢かなえた友人 京都でシャンソンに生きる

駆け足で近江八幡から京都を経由して神戸に行った。京都で途中下車をして、時間があれば、ある友人と会いたいと思った。それはかなわなかった。青くさい少年時代の一時期を共有した友人だ。

人嫌いで、友だちとはあまりうちとけることができない少年時代だった。それでも小太りで、心優しいこの友人とは気が合ったのか、彼の家にあきもせずに押しかけた。

中学生時代、彼はギターを弾きだした。私はいつも聞き役だった。夏休みは、日中ほとんどを彼の家で過ごした。2つか3つ下の妹さんはいつも2人でいる私たちを見て、あきれていた。

しかし別々の高校に入り、いつしか2人は疎遠になっていく。特に理由はない。以来、目指す道が異なり、再会までに多くの時間を要した。本当に長い歳月だ。

忙しい日常の中で、彼のことを思い出すことはなくなった。ある年、中学のクラス会があり、初めて別の友人から彼の消息を聞いた。「京都にいるよ。シャンソンを歌っているよ」と。音楽の道に進みたいとは聞いていた。だが、シャンソンは私の想像を絶するものだった。

思い切って、京都に電話を入れた。電話口の友人は京都弁になっていた。不思議な感覚だ。友人は「女流書家と一緒に毎年暮れにホテルを使ってシャンソンのディナーショーをしているので、一度おいでよ」と誘ってくれた。彼は、自宅でシャンソン教室を開いている。書家は彼の教え子の1人で、書の芸術性は高い評価を受けている。

12月のある日、京都に彼を訪ね、書家と彼のシャンソンを聴いた。彼は声量豊かに「愛の賛歌」や「枯葉」などシャンソンの名曲を次々に披露する。少年時代の彼の面影を思い出して私は涙ぐんだ。

彼がシャンソンを身につけるまでは、相当な苦労があった。芸能界に進もうと、大学を卒業して映画会社系の芸能学校に入るが、芽が出ない。

兄を頼って京都に行き、ピアノの弾き語りで生計を立てる日々。アルコールの誘惑に負け、アル中になったこともある。京都生まれの夫人はそんな彼を支え、シャンソン歌手として自立させる。挫折があったからこそ、彼のシャンソンには味があるのだと思う。

神戸に向かう電車の中で、少年時代を思い出した。ギターを弾く小太りの少年の横には「やせっぽっち」の私がいる。1曲終わる度に2人は笑いあっている。