小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

235 雪、そして風 地方都市を歩く

画像
雪の世界には慣れているはずだった。札幌で暮らした3年半は、雪が降る中を平気で歩いていた。東北を旅し、その自然はなかなか手ごわいと思った。盛岡、八戸、秋田。いずれの街でも私の体が既に「首都圏仕様」になっていることを痛感させられたのだ。 太平洋側の盛岡、八戸の雪は秋田に比べると、多いとはいえない。しかし、道路わきには除雪された雪がうず高く積まれている。日中でも気温は零度程度しかなく、風が冷たい。盛岡は岩手県の県庁所在地だが、この寒さの中では県庁通りの目抜き通りでも歩く人の姿は少ない。 不来方(こずかた)城跡の盛岡城址公園を歩いた。やはりだれもいない。いつも履いている靴で、公園への坂道を上るのは大変だった。ゆっくりゆっくりと、恐る恐る歩く。だれもいない雪の公園は気が晴れる。寒さに震えながら、高台の城址から盛岡の街をしばらく眺めた。若いころ、石川啄木もこの場所をよく訪れたそうだ。 この街の訪問は、岩手県雫石町で1971年7月30日に自衛隊機と全日空機が衝突し、全日空乗客155人と乗員7人の計162人全員が亡くなった大事故の裁判の仕事で、1975年3月11日に訪れて以来だから33年ぶりということになる。「自衛隊機と民間機」という構図は、今回の「イージス艦と漁船」の衝突事故を連想させる。いずれも犠牲になったのは民間人なのである。 盛岡から八戸へ移動し、ウミネコの繁殖地、蕪島近くに足を伸ばした。風が強い。歩いていて寒さに震える。数日前の暴風雨のためにこのところ日中出歩く人は皆無だったという。この日も歩く姿はまばらだった。蕪島を見下ろす高台にJR八戸線が走っている。夜、ここを走る車両は幻想的で「宮沢賢治銀河鉄道のようです」と地元の人が教えてくれた。蕪島には、まだウミネコはいなかった。 東北から次に行ったのは中部地方岐阜県美濃加茂だ。さすがに寒さは東北よりはひどくはない。しかし、東北以上に寂しさを感じたのだ。美濃太田駅は、どこにも負けないほどの立派な駅舎だ。なのに、夕方高山線を降りて、大きな通りに向かうのは何と私1人だけだった。ここはブラジル人の街だそうだ。 人口の1割というから日本でも稀有の地域である。翌日ブラジル人の子どもたちが通う学校に行った。寒そうな感じの子どもはいなかった。たぶんここの気候に完全に順応しているのだろう。
画像
画像
数日して今度は秋田県田沢湖に向かい、爆弾低気圧に遭遇した。これまでは北海道でやっていたスキーを事情があって田沢湖でやることにしたのだ。美濃太田駅が立派と書いたが、実は新幹線の田沢湖駅はそれ以上のものだった。天井が高く、ふんだんに秋田杉を使った風格のある駅舎だ。受け止め方はいろいろだろう。私は肯定的に見た。 スキー場はやはりコンディションは最悪。時折吹雪く。視界はゼロ状態になる。結局、数本滑ってリフトは止まった。それでも、リフト料金は返還されない。翌日、天候は回復した。温泉に入った。乳白色の源泉は熱い。しかし頭は寒く、身体はなかなか温まらない。地元の人がのんびりとお湯に入っている。日本は温泉天国なのだ。