小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

217 生涯現役の日野原先生 威厳に満ちた人生大先輩の講義

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千葉大文化勲章受章者の日野原重明医師の話を聞く機会があった。同じ医学を学ぶ、いわば後輩たちへの講義だけに、笑顔は全く見せず威厳に満ちた表情を続けた1時間半だった。 96歳という高齢であり、「好々爺」を想像していたが、全く違っていた。エネルギッシュで、失礼ながら「年を感じさせない」印象を受けた。生涯現役という言葉を連想した。先生と比べれば、私など若造かひよっこにしか見えないだろうと思ったものだ。 日野原先生は、新聞、テレビに度々取り上げられる。聖路加国際病院理事長で、予防医学の重要性や終末期医療の普及のほか医学・看護教育に力を注ぎ、成人病に「生活習慣病」という名前をつけるなど、行動派の医師だ。全国の小学校で、10歳の子どもたちを対象に「いのちの授業」を続けているという。千葉大では昨年秋からホスピスや終末期医療について、医学部や看護学部の学生に理解を深めてもらうために、「いのちを考える」という特別講座を開設しており、日野原先生もその講師として教壇に立ったのだ。 話は医学の分野と縁の薄い私にもよく理解できるほど平易な内容だった。1、日本の医学教育はシステムが弱いからノーベル生理学・医学賞を医学部出身者がもらっていないのだ。(唯一の受賞者利根川進博士は生物学者)2、日本の医学部の学生は一般教養の勉強が足りない。3、命の大切さを大人も子どももよく考えてほしい。4、日本の医師や看護師もシュバイツァー博士やガンジーキング牧師のように平和のために尽くして-という4点だった。 講義の合間に、子どもたちを相手に命について授業をする模様を映したビデオが流された。この中では、先生の顔は柔和に映っている。子どもたちもおじいちゃんを見るような親しさで先生に接していた。それと比較して、千葉大の教壇に立つ先生の表情は険しいように見えた。 実はこの日、担当教授が先生を紹介しているのに、学生の方は私語を交わしていて500人近く入る講堂はなかなか静かにならなかった。講義が始まっても遅刻する学生が入ってくる。それが先生の気に障ったことは間違いない。「アメリカの大学では遅刻はないし、みんな前の席に座るのに、日本では平気で遅刻もするし、席は後ろから埋まる」と話しながら、先生は「10分もすると、もう居眠りをする学生がいる」とそちらを指差した。 ここまで言われ、学生の方も静かになったが、注意されなければ分からないのが現代学生気質なのだろうか。昨年同じ講座を聞いた。上智大名誉教授のドイツ人哲学者の講座だったが、日野原先生以上に私語が続き、静かになるまで30分ぐらいはかかったことを覚えている。 「集中力がないと何事もだめだ」と日野原先生は言う。集中力が欠けた人材が医療の次代を担うとすれば、不安が消えない。