小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

215 人はなぜ泳ぐのか 知人は東京-鹿児島往復3000㌔を突破

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ことしの年賀状に14年かけて3000㌔を泳いだことを書いた知人がいる。東京-鹿児島間を往復して、さらにおつりがくる距離だという。 知人の自宅の近くにスポーツジムができたのは平成5年のことで、56歳の誕生日まであと数ヵ月に迫ったころだ。最初は数百メートルだった距離もその後は1回2㌔、月平均9回のペースを維持して、昨年秋ついに3000㌔を突破したのだそうだ。 休まずに2㌔を泳ぎ続けるその根気は並大抵なものではない。週末に泳ぐことを目標にしている私にとって、3000㌔という距離は偉大な記録としか言いようがない。 知人は現役当時、大手企業の労務担当をしていたと聞く。バブル崩壊後、どの企業にもリストラのあらしが吹き荒れた。知人の会社も例外ではなく、労務畑の知人は多くの社員の人員整理をしなければならなかったようだ。 そのつらい時代を振り返り、知人は現役を退いたあと、社会貢献のための仕事を見つけた。 水泳は孤独なスポーツである。リストラを迫る仕事で疲れた週末に知人は何を思いながら、2㌔を泳ぎ続けたのだろう。定年後も同じペースを崩さず、3000㌔を一つの通過点として、次は4000㌔を目指すという。知人は無我の境地で水に挑んでいるのかもしれない。 私の水泳との出会いは、知人と同様自宅のすぐ近くにスポーツジムが開設されたのがきっかけだ。当初は25メートルを泳ぐのもやっとだったが、息継ぎができるようになってからは連続して泳ぐ距離も飛躍的に伸びた。 普通は1・5㌔だが、調子のいい日は2㌔を泳ぐことができた。しかし、最近は1 ㌔だけで満足している。このジムは今年で15年になる。月平均6、7回は通うので知人の半分程度は泳いでいるかもしれない。私の場合は、長い時間泳いでいても頭からなかなか雑念が消えず、時々泳いだ距離を間違えたりする。 私が通うジムのプールには、だれもが感心するほど長距離を泳ぐ男性の常連がいた。1・5キロを2回繰り返す。私が通う土日、祝日の午前中は必ずこの人がいた。1日で3キロを泳ぐのだから、累計距離もだいぶ長くなったと想像する。 水泳は健康にいいはずだが、この人は後に健康を害し、短い距離しか泳ぐことができなくなった。さらに昨年夏以降、姿を見せなくなった。何があったのか分からないが、4000キロを目指すという知人の年賀状をもらって姿を見せなくなった男性がどうしているか気になった。 体全体を使う水泳は、たしかに健康にいい。ものの本にもそう書いてある。だから、平日の昼間のプールはお年寄りたちでにぎわっている。水泳が嫌いな(たぶん泳げないと思われる)友人は「あんな塩素がいっぱい入っているプールは体によくない」と、水泳の効用を信じないが、惰性でもプールに通い、水泳で体を動かし、サウナで汗を流すとたまっていたストレスはきれいに消えたように思うのだ。それはなかなか気持ちのいいものなのである。(年賀状は、版画家高橋幸子さんの作品)