小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

205 サザエさんの美術館 世田谷の桜新町を歩く

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漫画「サザエさん」の舞台は、東京・世田谷の桜新町だ。この商店街通りは「サザエさん通り」と呼ばれている。商店街を抜けた一角に「長谷川町子美術館」があり、だいぶ以前に長谷川さんにインタビューしたことを思い出しながら、館内を見学した。 漫画のサザエさんで知られる長谷川さんが紫綬褒章を受章したのは、1982年11月のことで、当時62歳。ご自宅を訪問すると、色白で髪型も含めてサザエさんそっくりといっていい雰囲気の長谷川さんが現れた。インタビュー嫌いで有名な長谷川さんだったが、紫綬褒章をもらうことが決まって、何とか話を聞かせてくれたのである。 話の内容はもうほとんど覚えていないが、好きな漫画を描いてここまで認めてもらったことに感謝をしている、というような話をされた。色白と書いたが、長谷川さんはどちらかというと体が弱く、その顔色が青白いことが気になった。 それから10年後の1992年5月27日、彼女は72歳で亡くなった。札幌に単身赴任していた私は、札幌の空の下から、長谷川さんの冥福を祈った。当時の宮沢首相は、長谷川さんに「国民栄誉賞」を送った。それほどに、サザエさんはだれにでも愛されていたのだ。 長谷川町子美術館は、1985年11月にオープンし、初代館長は町子さんが務め、2代目の館長は姉の鞠子さんだ。現在、収蔵コレクションとして有名画家の作品展が開かれており、加山又造東山魁夷の作品を見ることができる。 中学校の教科書の表紙にも使われたという東山の「春を呼ぶ丘」(1972年)があった。北海道の大地を連想させる畑に配置された白い馬、その背景の木々の構図が、見る者に希望の春が近いことを感じさせてくれる。なぜか心が和んだ。 一角には、長谷川町子コーナーがあり、長谷川さん一家が福岡から上京し、サザエさんで漫画家として飛躍する歴史をあらためて見直し、15年前のインタビューを思い出した。世田谷というと、高級住宅街と思いがちだが、桜新町サザエさんの漫画のように、庶民の街といった雰囲気があり、こうした街に住んだからこそあの名作が生まれたのだと通りを歩きながら考えた。