小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

197 紅葉の季節とベートーベン7番 伊東静雄の詩も

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本棚を整理していたら、奥の方から音楽テープが出てきた。CDやMDが全盛になる以前は、FM放送をテープに録音することが多くの音楽ファンがやっていたことだった。エアチェックという言葉があった。私もそれに凝った時期があった。 このテープはその時代のものだ。録音の日付も入っている。1987年4月11日、NHKFMで流れた東京文化会館シャルル・デュトワ指揮北ドイツ放送交響楽団の演奏である。生なのか録音なのかは分からない。録音にしても直前のものと思われる。1曲目はブラームス交響曲1番、2曲目がベートーベンの交響曲7番だ。ベートーベンを聞いた。ゆったりとしたこの曲は、深まる秋の夜にはよく似合うからだ。 この7番は、2001年に亡くなった大阪フィルの音楽総監督だった朝比奈隆が得意とした曲だ。朝比奈は、7番を急がず、悠揚迫らぬといった雰囲気で指揮した。(朝比奈のお別れ会では、この第2楽章が演奏されたという)デュトワの演奏は朝比奈に比べ、正確そのものだ。それにしても20年前のテープから流れる音は決して悪くはない。楽章の間の客席のざわめきももちろん鮮明に聞こえて来る。CDよりもなぜか心地よく耳に入る。 朝の犬の散歩に公園に行くと、紅葉の盛りだった。家の前にある遊歩道のけやき並木もこのところの急激な冷え込みで例年になく赤い色が目に付く。この季節は「思索の秋」ともいう。詩人の伊東静雄は「わがひとに与ふる哀歌」の中でこんな詩を書いている 深い山林に退いて 多くの旧い秋らに交つている 今年の秋を 見分けるのは骨が折れる 伊東の詩は意味合いが深い。さて、長い人生を送ってきた私を含めた同年代の人々は、今年の秋をどのように感じているのだろうか。こんなとりとめのないことを書いていたらデュトワの7番は終わってしまい、「ブラボー」という興奮した声が流れてきた。 テープを裏返し、ブラームスの1番を聴く。第2楽章は心にしみわたる。秋の夜は長い。 北国では、本格的な冬に入った。4人が亡くなった北海道十勝岳連峰の雪崩には驚いた。こんな早くに雪崩が起きるとは、多くの人は予想できなかったはずだ。急激な冷え込みは、私の住む街にも影響を与えている。紅葉した遊歩道のけやきは散歩をする人の目を楽しませているのである。 この街に住んで、いつもけやきとともに四季を送っている。春から夏、そして秋の3つの季節はそれぞれにけやきの美しさをたん能する。既に落葉が始まり、堆肥に使うために葉を集める農家の人の姿が目に付くようになった。小さな公園にもこれまでの秋とは一味違う鮮やかな朱色の世界が広がっていた。
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