小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

186 「暴走老人」(藤原智美著)考  青木の一途さに脱帽

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いま、「新老人」という言葉が使われている。各地で老人たちがキレた末に、暴力を振るうケースが跡を絶たないのだ。殺人を犯す老人もいる。自分を抑えることができずに暴走して、事件を起こす。そこまでは至らないものの、公共の場で、あらゆる醜態を見せる老人たちを「新老人」というのだそうだ。 芥川賞作家、藤原智美の「暴走老人!」(文藝春秋)は孤独な老人がなぜ事件を起こすのか、その背景を追った話題作だ。このような「キレやすく困った老人たち」を現代社会の「負」の部分、あるいは「影」の存在だとすれば、きょうのゴルフ、日本シニアオープンで逆転優勝を飾った青木功選手は、「光の面」の代表といえる。 そんな表現をすると、青木選手に怒られるかもしれない。「おれは現役だ。老人呼ばわりは迷惑だ」と。もちろん、青木選手は老人ではない。ただ、世間一般でいえば、彼の年齢である65歳は、老人の仲間入りなのである。そんな彼が何と10年ぶりに日本のシニア選手権で優勝したのである。しかも、ゴルファーにとっての夢である「エージシュート」まで達成してしまったのだから、やはりただものではない。 エージシュートは、自分の年齢以下のスコアで回ることだから、簡単にはできない。ホールインワンよりも可能性は少ないはずだ。65歳といえば、体力は急速に衰える年齢だ。青木選手は55歳の時、この大会で優勝して以来、優勝から遠ざかっていた。もう無理だと多くのファンは考えていただろう。 まさかという思いが多くの人の脳裏によぎったかもしれない。今回、青木選手と優勝を争った室田選手は52歳だった。その意味でも65歳で優勝するというのは、常人にはできないことなのだ。 パワーを維持するために、青木選手は厳しいトレーニングを続けていることで知られている。月並みな表現だが、たゆまぬ努力が65歳にして10年ぶりの栄冠をつかむ原動力になったのだろう。 がんと闘いながら、ゴルフに挑む杉原輝雄選手の存在も頼もしい。彼らの一途に生きる姿勢こそが「新老人」たちに、目標を持つことの大事さを教えているのだと思う。 たまたまこの週末、教育関係のボランティア団体のフォーラムに参加した。この団体の推進役の2人は、勤務していた大企業や学校を定年退職した後、ボランティアとして新しい自分探しを続けているのである。 私にはとうていできないことだが、青木選手に通ずる一途さが2人にはある。「燻し銀」(渋くて味わいのあること)というのだろうか。青木選手や杉原選手とともに2人にもこの言葉が当てはまる。 それに比べ、村上ファンドに投資したことが明らかになりながら居座り続ける福井日銀総裁やゴルフ接待漬けだった守屋前防衛事務次官らの醜態は見るに耐えない。「晩節を全うする」や「晩節を汚す」と言い方がある。晩節は人生の終わりのころのことだそうだ。燻し銀的な生き方をしている青木選手やボランティアらは、必ず晩節を全うするに違いない。