小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

175 秋の海もいい 九十九里にて

画像
九十九里は自宅から車で1時間もかからない。時折車で出かける。ただ、海を見るだけでいい。心が和む。周囲にいまでいう「里山」がある家で生まれ、育った。海とは縁のない少年時代だった。山は私の友達といってよかった。長じて、海近くで生活するようになった。当然のように、海も好きになった。 先日、九十九里浜に行った。約20キロの海岸を見る。人がほとんどいない海岸、サーファーでにぎわう海岸と極端だ。私は釣りやサーフィンといっった海にまつわる趣味はない。しかし、時折、海を眺めながら何も考えず、時間を過ごすのが好きだ。 先日、高知の足摺岬に行った時に、そうした時間を過ごすことができた。周囲にはだれもいない。遠くに観光船がゆっくりと進んでいくのが見える。 九十九里には、一年中海が好きな人々がやってくるのだそうだ。地元の千葉はもちろん、東京や埼玉から高速道路を使って若者が押し寄せる。何が楽しいのだろうか。それはサーフィンでもスキーでもそうだが、やったものにしか分からない。想像する。一心に波に向かう若者はたぶん「無心」の境地なのだろうと。 そうした若者や、釣り人の安全を願って、海のパトロールをするNPOの人々もいる。彼らは海に魅了され、海を愛する集団だ。そうした人たちが心配しているのは、このところ、九十九里の海岸が波による浸食が激しいことだという。砂浜によっては、浜近くの道路が浸食によって陥没した場所もある。それは美しい九十九里に似つかしくない光景だった。