小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

174 ベトさんの死 悲劇の青春

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下半身がつながった結合双生児として産まれた双子の兄弟のうち、兄のグエン・ベトさんが亡くなった。26歳の短い一生だった。 弟のグエン・ドクさんが結婚したとニュースに出たのは、たしか昨年ではなかったか。ベトナム戦争の被害者であるベトさんのご冥福を祈りたい。 2人はベトナム戦争時にアメリカ軍が大量に散布した枯葉剤によって、結合双生児という奇形で生まれた。テレビや新聞を通じて、その痛ましい姿が紹介され、ベトナム戦争の被害者のシンボル的存在になった。 ベトさんが急性脳症となったため、日本の医療機関が協力して分離手術を行い、成長後ドクさんは病院事務員として就職し、結婚もできた。しかしベトさんは脳症の後遺症のため、社会生活はできず寝たきりの状態で一生を送ったのだという。 ベトナム戦争は、1960年から75年まで15年続いた。アメリカが支援する南ベトナム共産主義北ベトナムの戦争だ。 アメリカは泥沼の戦いを続けるが、結局北ベトナムベトナムの解放を唱える南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)を力でねじ伏せることはできず、ベトナムから撤退する。この戦争では多くの化学兵器が使われたといわれ、ベトナムの多くの人々が犠牲になった。 各地ではいまも地雷の被害が出ているという。いまベトナムには私の後輩が仕事で赴任している。彼は1972年生まれであり、ベトナム戦争は彼が3歳の時に終わっている。そして、ベトナムはいまやドイモイ政策によって、経済の成長が著しく、次第に戦争は遠くなりつつある。 ことしは、日本でベトナム戦争の反対運動のリーダーだった小田実さんがなくなった。そして、ベトさんの訃報である。新聞では、社会面の片隅にその記事が掲載されていた。しかし、ベトナム戦争時代に青春を送った世代には、このニュースの意味は小さくない。 ベトナム戦争が始まる15年前に終結した太平洋戦争の沖縄戦についての最近の動きも注視して新聞を読んでいる。沖縄の慶良間諸島であった住民の集団自決に日本軍の強制があったという記述を教科書から削除した問題で、11万人の県民集会が9月29日に開かれた。 この集会で日本軍の命令、強制、誘導などの記述を削除した文科省に対し、検定意見撤回と記述回復を求める決議を採択して以降、この問題が連日大きく取り上げられ、文部科学相は柔軟な姿勢を見せている。11万人もの人が一つの問題のために集まるということは、沖縄県民の怒りが大きいことを示したと思う。戦争という人間にとって一番おろかな行為の後遺症は長く、重いのだ。(写真は沖縄・慶良間諸島