小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

168 母の命日 旅の空の下で

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母の命日は9月6日だ。優しくもあり、厳しい母だった。私は母が大好きで小学校の低学年まで一緒の布団で寝ていた。 しかし、朝、目が覚めるとそこに母はいなかった。早朝から仕事に行き、帰ってくると朝食の準備をしている。ほどんと話はしない。寡黙な人だった。 この世の中には、いろいろな親子の形態がある。父や母を恨んで犯罪に走る子どももいる。親子の断絶という言葉も一時流行した。 いまは学習塾への送り迎えをする母親の姿がどこの駅前周辺でも見られる光景になった。いつの時代でも母は子どもの幸せのために行動しているのだろう。 私の母は、早くに死んだ父の代わりもした。だから、時には間違ったことをすると厳しく子どもたちに迫ってくる。 反抗期に、母に逆らった。「くそばばあー」という捨て台詞を吐いて、はだしで家を飛び出した。すると、母もはだしで私を追いかけてくるのだ。 駆け足には自信があった。だが、小柄でいつも物静かなはずの母はけっこう足も速かった。数百メートルで私に追いつき、首根っこを押さえた。母は泣いていた。なぜなのか当時は理解できなかった。 当時の母の年齢を飛び越したいまは、母の気持ちが分かる。ひた向きに生きた人だった。だから「なぜ、困らせるの」と、怒りが沸騰したのだろう。 晩年、母は病に倒れ、長く医者通いを続けた。そして、必死に生きているという顔は、いつしか穏やかな表情に変わっていった。 亡くなるときの顔もそうだった。安らぎに満ちていた。私は家に帰りモーツァルトのレクイエムを聞きながら、涙をこらえた。あれから、もう20数年が過ぎた。 ことしの母の命日はニュージーランドを旅していて、夜、南十字星を見た。それは子ども時代にいつも見ていた日本の美しい夜空に似ていた。