小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

154 暑い日のうな重 新宿の頑固親父

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30歳ころ、新宿の高層ビルの谷間で仕事をしていた。毎日が長時間勤務だった。というと、過酷な仕事をしていたのかと思うだろうが、そうではなく、拘束時間が長いというだけのことなのだ。 昼、仲間たちとすぐ近くにあるうなぎ屋に通った。頼んだうな重が出るまでにゆうに1時間はかかる。夏なら、ビールを飲みながら待つ。それ以外の季節でもビールを飲まなければ、間が持てない。なぜか。この店は、70はゆうに過ぎた主人と少しだけ若くて愛想のいい奥さんの2人でやっている。 主人は見るからに頑固で、客の注文を受けてからうなぎをさばき、串に刺して備長炭でじっくり焼いていく。だから、時間がかかる。それでも、たぶん秘伝のたれを使っているのだろう。うなぎの味は絶品なのだ。みんな黙って、食べる。それは至福の時間だった しばらくは、そうしたビールとうな重の時間を送った。しかし、仲間には気の短い者もいる。待つのは嫌だと、前もって時間を指定して予約をする。それがいつしかわれわれの習慣になった。 この店は、当時、直木賞にノミネートされた作家が蒲焼を肴に酒を飲んでいると、いい知らせがあるという伝説があった。2代続けて受賞がかなったのだそうだ。 いつしか、新宿から離れた。うなぎ屋への足も途絶えた。そして都市計画の変更で店があった付近はもう以前とは全く違う街になっている。頑固親父夫婦が店の最後をどのように送ったか、私は知らない。 追記 うなぎ屋の親父は、頑固親父がなぜか多い。以前、紹介した浦和のうなぎ屋のほかにも、高知県四万十川に行った際に出会った土佐くろしお鉄道中村駅前の小さなうなぎ屋の親父も頑固を絵に描いたような人だった。 昼前、われわれの団体7、8人が入り、うな重を注文すると、奥さんに「きょうはこれでおしまいだ。暖簾を下ろせ」というのだ。奥さんは、うなぎはまだあるのにと、不満そうだが、渋々言う通りにする。頑固親父には仕方がないという表情をしながら。四万十川で取れた天然うなぎが評判の店だった。当然のように、この店のうな重も抜群にうまかったことを覚えている。(2007.8.15)