小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

151 翻訳小説に浸る 週間読書日記

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このところ、なぜか翻訳小説に凝っている。旅の友はこうした外国小説の文庫本だ。最近読んだのは①テリー・ケイ「ロッティー、家(うち)へ帰ろう」②カズオ・イシグロわたしたちが孤児だったころ」③ステーヴン・キング「トム・ゴードンに恋した少女」④ケン・グリムウッド「リプレイ」-の4冊だ。  「ロッティー、家(うち)へ帰ろう」と「トム・ゴードンに恋した少女」は、登場人物が野球に深くかかわり、2つの作品ともに一気に読み進めることができる小説だ。主人公の女性は、ともに魅力があって、たぶんに女性の理想像なのである。優しさ(ロッティー)と強さ(トムゴードン)に、読者は心を打たれるに違いない。 では、「わたしたちが孤児だったころ」はどうだろう。作者のカズオ・イシグロは日系の英国人で、日本でいえば、芥川賞に当たる英国の「ブッカー賞」を1989年に「日の名残り」で受賞した作家である。 探偵役のクリストファー・バンクスの描き方が見事である。10歳で孤児になった主人公は両親が失踪した日中戦争時代最中の上海に戻り、両親の行方を探し始める。そこで次々に難題にぶつかる。推理小説の体はとっているのだが、この作品は推理小説ではないことに読者は気がつくはずだ。主人公の心理状態を静かに描き出す読み応えのある作品なのだ。 「リプレイ」は、途中までは面白いと思って読んだ。しかし、読後の感想は「荒唐無稽」である。心臓発作で死んだ主人公が生き返って若いころにタイムスリップしていた。 以前の記憶を利用して違う人生を歩むが、それも終わり、また死んで生き返る。この繰り返しがリプレイなのだ。人生がやり直せたらと、思う人は少なくない。そんな人々の願望を小説にしたのがこの作品だろう。