小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

148 夕焼けに思う 政界も角界も大荒れ

画像
8月1日に関東地方も梅雨が明けた。帰宅途中、電車を降りてふと空を見上げると、美しい夕焼けが目に飛び込んできた。不順な天気が続いていたので、夕焼けを見るのは久しぶりだった。かばんからカメラを取り出し、シャッターを切った。私の隣でおじさんが携帯電話のカメラを空に向けていた。 朝焼けは天気が崩れる兆候、夕焼けは逆に翌日の天気がいいという前触れと聞く。その通りになって、2日は暑い夏が戻ってきた。「きょうも暑いですね」とあいさつするくらい暑い方が夏らしくていい。 美しい夕焼けに、心が和んで帰宅したのだが、夕刊には赤城農水相の辞任の大見出しが載っており、テレビでは仮病サッカー騒動の大相撲の横綱朝青龍相撲協会が2場所出場停止の処分というニュースをやっている。8月は、ニュースのネタが少なく「夏枯れ」という言葉が使われるが、この夏はどうやらそんなことはなさそうだ。 いまさら、赤城氏のことや選挙のことには触れたくはない。ただ、どうやら今度の選挙は、日本の政界に大きな変動を起こすきっかけになったということは間違いないようなのだ。一方の大相撲の朝青龍問題は、もはや大相撲が「国技」ではなくなっていることを証明したといえる。 外国人力士に頼らざるを得ない状況は、だれが見ても明らかだ。日本の若者たちからはハングリー精神が失われ、彼らはちょんまげ、まわしというあまり格好のよくないスタイルには興味を示さない。かつて私が所属していた職場では、テレビを付けっぱなしにしていて、場所中当然のように相撲を放送中のNHKにチャンネルを合わしてある。 ところが、外出から戻った若い職員は別のチャンネルに回してしまうか、ひどいときにはテレビの電源を切ってしまうのだ。彼一人だけの行為ではなく、他の職員も大同小異の行動を取る。そういう時代がやってきていたのだ。 だから、朝青龍が傍若無人のことをやってもピンとこないのではないか。読売新聞と産経新聞が政界の動きよりも朝青龍のニュースを優先して、一面トップに据えたのは裏があるようで面白い。 夕焼けから話が飛んだ。東京都心でも私の散歩コースでもせみが激しく鳴き出した。本格的な夏と思っていると、すぐに立秋だ。確実に昼の時間が短くなっている。読書を楽しむ秋もそう遠くはない。