小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

143 勝連の城主阿麻和利 世界遺産の地で英傑を思う

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沖縄の世界遺産といえば、首里城跡など9つの「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」だ。このうち首里城跡と今帰仁城跡には行ったことがあるが、沖縄本島中部のうるま市にある勝連城跡にはなかなか行く機会がなかった。 つい先日、仕事でうるま市に行った際、初めてこの遺跡を見ることができた。金武湾と中城湾を見下ろす高い丘の上の城跡に登った。15世紀、一人の男がこの丘から海を見ながら、琉球王国の国王に対抗し決起することを誓ったのだという。男の名は「阿麻和利」(あまわり)。急傾斜を登り城跡に立つ。四方に眺望がきく。石垣が往時をしのばせる。阿麻和利とは、どんな男だったのか。 うるま市教育委員会が作成した勝連城に関するパンフによると、諸説ある阿麻和利伝承のうち、一説は嘉手納町の北谷間切屋良で生まれたとあり、小さいころは体が弱くて山に捨てられ、一人で生きていくうちに知恵と力をつけ、勝連に流れ着いた時には村人に魚網をつくってやったりして慕われるようになった。
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やがて、勝連城主の茂知附按司に取り立てられたが、計略を使って按司の座を奪った。力をつけた阿麻和利は、琉球国王の娘を妻にもらう。さらに王権奪取を狙って首里城を攻めたが、天は阿麻和利に味方をせず、敗北して滅んでしまう。発掘調査の結果、中国製や日本製の陶磁器類が多量に勝連城跡から出土し、阿麻和利らが海外との交易を活発に行っていたことが推測されるのだそうだ。 うるま市内にある市立海の文化資料館の前田一舟学芸員によると、うるまは沖縄の中でも発掘された遺跡が多く、沖縄の考古学はうるまから始まったといっても過言ではないそうだ。独自の文化を持っていた琉球王国。それに対抗した勝連の城主はまた、海外にも目を向けていたのだろう。
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城跡を案内してくれた前田さんは、空を見ながら「すぐにスコールがやってきますよ」と予告した。前田さんと別れ、勝連城跡からの帰り那覇までのバスを待つ間に、その通りスコールに見舞われた。激しい風と雨は、屋根のあるバス停で傘を差していても、容赦なく私に襲い掛かり、ズボンが瞬く間に濡れていく。濡れねずみになりながら、こうした南方特有の気候風土が阿麻和利のような、英傑を生んだのだろうと思ったものだ。(2007.7.27)