小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

139 ヒグラシとホトトギス

7月も中旬になり、きょうの夕方、帰宅途中でヒグラシゼミが鳴いているのを聞いた。

梅雨の最中のヒグラシゼミである。少し早いのかと思いつつ、「カナカナカナ」という響きを楽しんだ。うるさくはない。寂しい感じもする。それがこのセミの特徴だ。万葉集でも謳われた。セミについて10首あるうち、9首がヒグラシゼミに関する歌なのだ。

芭蕉は山形の立石寺で、有名な「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」の句を詠んだ。この句はヒグラシゼミを詠んだものではない。

芭蕉の句の主人公はニイニイゼミアブラゼミなのだ。そして、アブラゼミだと主張する斎藤茂吉と、いやニイニイゼミとする小宮豊隆との間で大論争になった。芭蕉がこの寺に行ったのは太陽暦の7月13日であり、このころはニイニイゼミしか鳴かないので、小宮説に軍配が挙がったという興味深い話もある。

私は子どものころ、夏休みに縁側とは反対側の部屋で昼寝をするのが日課だった。風が通り、涼しかった。すぐ近くの裏山からヒグラシゼミの鳴き声がする。それが子守唄代わりになった。だから、ヒグラシの声を聞くと、つい子ども時代を想うのだ。

先にウグイスが自宅の庭にも来るようになったと書いた。いまの時期、森や林からはウグイスだけでなく、もう一つ特徴ある小鳥の鳴き声がする。私にはそれが「トウキョウ トッキョ キョカキョク」と聞こえる。

声の主はホトトギスなのだ。自分では巣はつくらず、ウグイスなどの巣をちゃっかり利用してしまう。かなりずうずうしい鳥だ。貸し農園に行くと、近くの森からホトトギスの鳴き声がうるさいくらいにする。

この鳥とセミの鳴き声がダブったことはあまり記憶がない。それが、この夏はダブっている。自然環境が微妙に変化している表れなのだろうか。(2007.7.11)