小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

126 私が住んだ街8・旧浦和市(さいたま市) うなぎ屋が健在

日本の都市でひらがなの名を持ち、人口が最も多いのはさいたま市だ。私がかつて住んでいたころは浦和市だった。大宮や与野と合併しいまの100万都市になった。都会と田舎が共存する埼玉県の県庁所在地である。

私の印象でいうと、浦和といえばうなぎと学習塾の街である。20軒あるといううなぎ屋の中でもよく知られるのは「満寿家」「山崎屋」「小島屋」そして「中村家」である。この中で、「小島屋」は普通の店の倍もある大きな蒲焼を出す。中心部から外れた場所にあっても、観光バスが立ち寄るほどの人気店だ。

それに比べ、意外に質素なのは県庁近くにある「中村家」だ。頑固親父風でありながら、実は心根の優しい主人が時間をじっくりとかけて焼き上げる蒲焼は絶品だ。やや辛目のタレはこの店でしかない独特のものである。いつも店の前を跡継ぎの息子さんの奥さんが掃除していた。若くて初々しいがどこか気品があった。この人にひそかに惹かれて通ったという御仁もいたのを思い出す。

有名店ではないが、美しい枝垂れ桜がある玉蔵院から数分のところにある「浜名」は実は一番うなぎを食べに行った店である。当時から米は新潟のコシヒカリ、うなぎは柔らかく、タレも絶妙だ。上品な味なのである。置いてある酒が新潟の銘酒で、つい長居してしまう店であった。

なぜ浦和にうなぎ屋が多いのか。県庁からあまり遠くない場所に別所沼がある。ここで昔から天然のうなぎがとれたため、このうなぎを使ってうなぎ屋が繁盛したと聞いたことがあるが、真相はよく分からない。いま営業中のうなぎ屋で天然物を使っている店があるかどうかも私は知らない。

浦和にはこのほかにもうまい蕎麦屋があり、なぜかいけるとんかつ屋もある。サッカーJリーグでいま最強といえる「浦和レッズ」の選手が通い詰める焼肉屋もある。

浦和に住んだのはちょうど、2年だった。当時、埼玉県は人口急増県だった。それはいまもあまり変わりないかもしれない。食べ物のことを書いたが、浦和は教育の街であることも忘れてはならない。京浜東北線で東京から大宮に向かう途中に南浦和駅がある。

西口の改札口を出ると、学習塾が林立しているのが目に入るのだ。浦和の人々は東京に負けまいと、昔から教育に力を入れた。それが南浦和の姿を象徴しているのかもしれない。県立の浦和高校浦和一女は名門として多くの人材を輩出した。うなぎの中村家の前に埼玉会館があるが、その隣の県立図書館はいつも本を求める人でいっぱいだった。

浦和駅前にデパートの伊勢丹がある。高級品が多いのが特徴だ。なぜか。消息通に聞いた。「浦和は昔から旦那衆の街なんだ。だから、伊勢丹には、その奥さんたちが高級品を求めて買物に来るんだ」という話だった。

県庁と市役所しか目立つものはなく、あまりとりえのない街と思われる浦和。しかし、じっくり歩いてみると意外な驚きに出会うかもしれない。