小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

77 空飛ぶタイヤ 企業社会の病理を描いた小説

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新聞の朝刊を開く。毎日のように社会面の下に企業の「おわび広告」が掲載されている。多い日は、8社のおわび広告が社会面と第2社会面の下の広告欄をすべて占めてしまった。これは何なんだと思う。 「空飛ぶタイヤ」(池井戸潤著、実業の日本社)を読んで、その答えが分かったような気がした。この小説は、ある運送会社の大型トレーラーのタイヤが吹っ飛び、子どもを連れた主婦を直撃、主婦が即死するという衝撃的な事故のシーンから始まる。 事故を起こした小さな運送会社に警察の捜査の目は向く。事故車両の部品を鑑定したのはトレーラーを製造した旧財閥系の自動車会社(三菱自動車の事件がモデルだと思われる)で、鑑定結果は運送会社の「整備不良」だった。 しかし、これに疑問を抱いたのは運送会社の熱血漢の社長である。倒産の危機に陥りながら、彼は必死になって事故原因を調べていき、ついに実は整備不良ではなく、車自体に欠陥があったことを突き止める。 小説は、この財閥系の自動車メーカーと銀行との思惑を持ったやりとり、警察の捜査ぶり、被害者家族の悲しみ、運送会社の社長がPTA(保護者会)会長を務める小学校での問題など、多くの材料を盛り込んでいて、エンターテーメント性も豊かである。 何よりも、小説の中で流れるのは、「正義を貫く」ことの大事さ、そして困難さだ。だが、いまの時代、多くの企業には正義を貫くという精神に欠けているのではないかと不安を抱くのだ。 それを証明するのは、おわび広告だと私は思ったのだ。何でいまごろになっておわびを出すのか。みんなで渡れば怖くないという企業の論理が働き、どさくさにまぎれておわび広告を出したに違いない。これが間違いであれば幸いだ。 企業社会の病理を考える。果てしなく繰り返えされる企業による不正は、新聞に掲載されるおわび広告だけの範囲で納まるものではないと憂慮するのだ。